おおたき・おおたけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 08:57 UTC 版)
古代には「大竹川」と呼ばれていた。 延暦16年(797年)成立の『続日本紀』には、天平6年(734年)9月16日の条に、「大竹河」をもって安芸国(広島県西部)と周防国(山口県東部)の国境とした、とある。 九月(中略)甲戌。制ス。安藝。周防ノ二國以テ二大竹河オホタカヾハ一ヲ爲二セヨ國ノ堺ト一也。 — 『続日本紀』巻十一 慶長年間(1596年-1615年)の『厳国沿革志』は、河口部の川筋が現代とは異なって山裾を流れていたことを示唆しており、現代は小瀬川によって隔てられている広島県大竹市と山口県玖珂郡和木町が、かつては地続きだったことが記されている。広島県側の大竹村は、鎌倉時代の建治3年(1277)年の「佐伯助広処分状」には「おうたき」と記されている。「大滝」と書かれることもあった。一方、山口県側の和木は、天正16年(1588年)の検地帳には「周防大たけ」「周防大滝」と記され、享保年間(1716年-1736年)の史料「享保増補村記」にも「旧名大滝村」とある。 室町時代初期の応安4年(1371年)、今川貞世が九州探題として下向する途上、当地を通った。貞世の複数の紀行文に、この川が安芸国・周防国の国境の川として言及され、「大谷」「おほたき川」などと記している。 大谷とて岸たかき山河ながれ出て見ゆ。これより周防のさかひと申 — 今川了俊『道ゆきぶり』 おほたき川とて、安芸と周防のさかひの川 — 今川了俊『鹿苑院殿厳島詣記』康応元年(1389年)3月11日条
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