いろは順背番号とポジション順背番号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:02 UTC 版)
「阪神タイガース」の記事における「いろは順背番号とポジション順背番号」の解説
1936年春、設立したばかりのタイガースは在籍していた選手17名の背番号を名前のいろは順で決めた。ただし、若林忠志と佐藤武夫は、当初与えられた背番号4と背番号13は縁起が悪いと考え、空き番号だった18、19にそれぞれ変更している。エースの若林が偶然付けた18番は、後にエースナンバーと呼ばれるようになった。 1950年、リーグが分裂し、ファームの結成などの改革を行ったタイガースは背番号をポジション別に改めた。1 - 8が投手、9 - 11が監督、助監督、主将、12 - 14が捕手、15 - 20が内野手、21 - 24が外野手、それ以降をファームの選手とした。9 - 11が捕手に使われていないのは、1リーグ時代からの功労者である背番号9の松木謙治郎と背番号10の藤村富美男の番号を変えないように配慮したためである。 こうした一連の経緯から、他球団では投手の着用例が少ない「1」以外の一桁の背番号を投手が着用した例や、その逆に、エースナンバーとして扱われることが多く、投手以外の着用例が少ない「18」などを野手が着用する例が散見されていた。
※この「いろは順背番号とポジション順背番号」の解説は、「阪神タイガース」の解説の一部です。
「いろは順背番号とポジション順背番号」を含む「阪神タイガース」の記事については、「阪神タイガース」の概要を参照ください。
- いろは順背番号とポジション順背番号のページへのリンク