『鉄炮記』の内容とは? わかりやすく解説

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『鉄炮記』の内容

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:58 UTC 版)

鉄砲伝来」の記事における「『鉄炮記』の内容」の解説

鉄炮記」も参照鉄炮記によれば天文12年1543年8月25日大隅国種子島西村小浦現・前之浜)に一艘の船が漂着した100余り乗客の誰とも言葉通じなかったが、西村時貫(織部丞)はこの船に乗っていた明の儒者・五峯と筆談してある程度事情わかったので、この船を島主・種子島時堯居城がある赤尾木まで曳航するように取り計らった。 船は8月27日赤尾木入港した。時堯が改め法華宗の僧・住乗院に命じて五峯と筆談を行わせたところ、この船に異国商人代表者2人いて、それぞれ牟良叔舎(フランシスコ)、喜利志多佗孟太(キリシタ・ダ・モッタ)という名だった。時堯は2人実演した火縄銃2挺を買い求め家臣篠川小四郎火薬調合を学ばせた。時堯が射撃技術習熟したころ、紀伊国根来寺坊某もこの銃を求めたので、津田監物に1挺持たせて送り出した。さらに残った1挺を複製するべく金兵衛尉清定ら刀鍛冶集め新たに数十挺を作ったまた、堺からは橘屋又三郎が銃の技術を得るために種子島へとやってきて、1、2年で殆どを学び取った。 なお、このころ平戸五島列島拠点活動していた倭寇頭領王直の号は五峰という。山冠の「峯」は山偏の「峰」の異体字であり(山部)、『鉄炮記』で筆談相手となった明の儒者・「五峯」の名は王直の号と同じである。

※この「『鉄炮記』の内容」の解説は、「鉄砲伝来」の解説の一部です。
「『鉄炮記』の内容」を含む「鉄砲伝来」の記事については、「鉄砲伝来」の概要を参照ください。

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