『華夷訳語』所収「納門駙馬書」とは? わかりやすく解説

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『華夷訳語』所収「納門駙馬書」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 03:15 UTC 版)

グナシリ」の記事における「『華夷訳語』所収「納門駙馬書」」の解説

初に編纂されたモンゴル語学習テキストである『華夷訳語甲種本)』には、例文として明朝からモンゴル系諸勢力出され外交文書所収されている。これらの文書は『元朝秘史』と同様、モンゴル語の音を漢字記したものと、モンゴル文を中国語訳したもの併記されており、当時モンゴル語を知る上で貴重な史料となっている。その内一つ、「納門駙馬書」には以下のような記述がある: 上なる大明皇帝に、ナムン・キュレゲン、エンケトラ・バートル、我ら奏事本国[の]主君チンギス・カンのジャルグチ(聖旨)により、主君チャガタイ・カンに随い分与されたるモンゴル・ウルス治めて我ら祖宗委ねせしめたるなり……[それ故]グナシリ(兀納失里=Γunaširi)王をクムルより行けるイェケ・ウルスの基址尋ね、[そこを]治めることを、皇帝聖旨[もて]知らしめあれ。我ら奏事辰年冬の頭月の初八[日]、カラ・デレにある時に書き記したり。 — 「納門駙馬書」『華夷訳語』 この時洪武帝上奏したナムン・キュレゲン、エンケトラ・バートルはグナシリ側近であった考えられこの上奏によってグナシリ王のクムル統治安堵された。日時について、「辰年」は戊辰洪武21年1388年)のことで、「カラ・デレ(合剌迭列=Qara Dele)」は「黒い沙州」を意味する単語であり、沙州現在の敦煌)を指すのではないか推測されている。

※この「『華夷訳語』所収「納門駙馬書」」の解説は、「グナシリ」の解説の一部です。
「『華夷訳語』所収「納門駙馬書」」を含む「グナシリ」の記事については、「グナシリ」の概要を参照ください。

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