『華夷訳語』所収「納門駙馬書」
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「グナシリ」の記事における「『華夷訳語』所収「納門駙馬書」」の解説
明初に編纂されたモンゴル語学習テキストである『華夷訳語(甲種本)』には、例文として明朝からモンゴル系諸勢力に出された外交文書が所収されている。これらの文書は『元朝秘史』と同様、モンゴル語の音を漢字で記したものと、モンゴル文を中国語訳したものが併記されており、当時のモンゴル語を知る上で貴重な史料となっている。その内の一つ、「納門駙馬書」には以下のような記述がある: 上なる大明皇帝に、ナムン・キュレゲン、エンケトラ・バートル、我らの奏事:本国[の]主君チンギス・カンのジャルグチ(聖旨)により、主君チャガタイ・カンに随い分与されたるモンゴル・ウルスを治めて、我らの祖宗に委ね管せしめたるなり……[それ故]グナシリ(兀納失里=Γunaširi)王をクムルより行けるイェケ・ウルスの基址を尋ね、[そこを]治めることを、皇帝の聖旨[もて]知らしめあれ。我らの奏事は辰年冬の頭月の初八[日]、カラ・デレにある時に書き記したり。 — 「納門駙馬書」『華夷訳語』 この時洪武帝に上奏したナムン・キュレゲン、エンケトラ・バートルはグナシリの側近であったと考えられ、この上奏によってグナシリ王のクムル統治は安堵された。日時について、「辰年」は戊辰洪武21年(1388年)のことで、「カラ・デレ(合剌迭列=Qara Dele)」は「黒い沙州」を意味する単語であり、沙州(現在の敦煌)を指すのではないかと推測されている。
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