『快傑ズバット』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:31 UTC 版)
宮内洋は当初『快傑ズバット』に乗り気でなかったと語られることがあるが、宮内本人は最初に企画を聞いた時に脚本ができていなかったため「本を見せてください」として保留にしたのが、プロデューサーの平山亨に「OKが出なかった」と伝わったのではないかと述べている。脚本を読んだ宮内は、自身にしかできないと思い快諾している。 撮影ではアドリブなどを自由にやることができ、宮内はズバットに変身せずすべて早川健でやりたかったと述べている。 オープニングなどで行っている肩をすくめたジェスチャーは『ゴレンジャー』出演当時、ハワイのKIKU-TV主催のショーに出演した際に、サイン会で地元の子供が肩をすくめる仕草をしていた姿がヒントになっている。 『快傑ズバット』は作品自体好評にもかかわらず玩具商品が売れなかったため、作品が打ち切りになってしまい、玩具メーカー主導の特撮番組の制作体制を嘆いている。 『快傑ズバット』LD最終巻には初回プレス分すべてにサインを記し、総集編『快傑ズバット メモリアル』では初回特典のトレーディングカードに1枚1枚直筆サインをしている。
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