『冒険世界』刊行
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1904年(明治37年)に日露戦争が始まると博文館では雑誌『日露戦争写真画報』を刊行するが、巌谷小波の推薦で春浪は編集者として就職し、編集作業のかたわら同誌に小説や時評を執筆する。戦後に同誌が『写真画報』に変わると、春浪は編集長に抜擢され、ここでも小説を掲載した。この頃『空中大飛行艇』が講談師の真龍斎貞水によって語られ、その速記録も「空中奇譚」と題して同誌に掲載されている。 1908年(明治41年)に『写真画報』は廃刊し、引き続き春浪が主筆となる『冒険世界』が刊行され、春浪作を始めとした多くの冒険小説が掲載される。この頃から他の多くの作家も冒険小説を執筆し、冒険小説ブームとも言える時代を作り出した。
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