『ハーパース・バザー』でのデビュー
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「リチャード・アヴェドン」の記事における「『ハーパース・バザー』でのデビュー」の解説
アヴェドンはニューヨークでユダヤ系ロシア人の家に生まれた。12歳の頃にはコダック製カメラブローニーで写真を撮るようになっていた。コロンビア大学で哲学と詩を学ぶが1年で中退した後、1942年から1944年の間、軍役としてブルックリンにあったマーチャント・マリーン(United States Merchant Marine :平時には商船隊として活動するが戦時には米海軍の輸送船団の役割を果たす)の基地に勤務し、機関誌『ザ・ヘルム』(The Helm )用の写真撮影に携わった。 除隊後ファッション写真家を志し、まずニューヨークにあった高級女性衣料店「ボンウィット・テラー」(Bonwit Teller )に無料で広告写真を撮らせてもらえないかかけあい、エレベータ内に貼る写真を撮らせてもらうことに成功する。またボンウィット・テラーでの写真やマーチャント・マリーンでの身分証明書用写真、自らの姉妹のルイス・アヴェドンをモデルとした写真等をポートフォリオにまとめて有力ファッション雑誌『ハーパース・バザー』の編集者アレクセイ・ブロドヴィッチのもとに持ち込み、マーチャント・マリーンでの作品が認められて『ハーパーズ・バザー』誌のティーンエイジャー向けページ「ジュニア・バザー」での仕事を手に入れた。アヴェドンの同誌デビューは1944年11月号である。 同誌での仕事と並行してアヴェドンは、ニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチ(現在のニュースクール大学)のデザイン研究所でブロドヴィッチに写真を師事。 1946年には自分のスタジオを持ち、『ハーパーズ・バザー』と並ぶ有力ファッション雑誌『ヴォーグ』や、当時怪物的な販売数を誇ったグラフ誌『ライフ』でも写真を撮り始めた。
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