「MGMスタジオ」成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 15:50 UTC 版)
「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー」の記事における「「MGMスタジオ」成立」の解説
1924年、「メトロ・ピクチャーズ・コーポレーション」(1915年創業)、サミュエル・ゴールドウィンの「ゴールドウィン・ピクチャーズ」 (1917年創業)、ルイス・B・メイヤーの「ルイス・B・メイヤー・ピクチャーズ」(1918年創業)が合併し「MGMスタジオ」が成立。MGMの名前の由来は、その3社の頭文字を取ったもの。 親会社は当時最大の劇場チェーン「ロウズ」社だったために財力に恵まれ、製作も豪華主義で、設立当時から業界トップの地位を約束された。さらに同社を潤わせたのは「ボーイ・ワンダー(神童)」と謳われたアーヴィング・タルバーグの存在である。心臓疾患を持ちながら24時間編集室を出ないという働きぶりで、総帥ルイス・B・メイヤーと組んで初期作品を一手に手がけた。しかし37歳で1936年に早世した。 最初期のミュージカル映画『ブロードウェイ・メロディ』が大ヒットし、その後も多数の所属スターによる豪華なキャスティングや豪華なセットと衣装、そして音楽をつぎ込んだ「大作主義」でミュージカル映画全盛期の1950年代半ばまで隆盛を極めることとなる。
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