「茂原下痢症」の命名
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最終的な罹患者数は7,191名(うち茂原市5,139名、長柄村568名)で、水道汚染による集団下痢としては1937年(昭和12年)の大牟田爆発赤痢事件に次ぐ規模のものとされた。一方で、経過はおおむね軽症であり、重症者や死者は見られなかった。また、二次感染も確認されなかった。 交差免疫実験の結果、病原体は、それまでに知られていた伝染性下痢症ウイルスとは免疫学的に異なる未知のウイルスであることが判明した。厚生省・千葉県・茂原市三者の共同による報告書(『茂原下痢症』千葉県衛生部、1954年)の編纂に際し、疾患名は「茂原下痢症」、その病原体は「茂原下痢症ウイルス」とそれぞれ命名された。この際、国立予防衛生研究所副所長の小島三郎は、「将来全世界に紹介さるべき新しい疾患の名称として,渺たる一地方都市の名前をつけるのは妥当ではないように思う。むしろ県名をつけて“千葉下痢症”と呼ぶべきではないか」と主張したが、千葉県衛生部予防課長の相良貞直らから、県と同名の市がありまぎらわしく、また、以前から「茂原下痢症」という名前が使われてきたこと、などを理由に反対を受け、茂原下痢症に決定したという。
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