「聖なる世界」「俗なる世界」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 12:16 UTC 版)
「叙任権闘争」の記事における「「聖なる世界」「俗なる世界」」の解説
叙任権闘争の最中、シャルトル司教であるイーヴォによって、叙任権闘争に対する一種の妥協点が提示された。それは、教会が有している権力・権威はスピリチュアリア(宗教的なもの、不可視なもの)とテンポラリア(世俗的なもの、可視的なもの(土地とか財産など))の二つに分けられるという考え方である。これにより、これまでの聖俗の未分化、混然としていた世界が観念的に二分され、皇帝と教皇の棲み分け可能な世界として把握されるようになった。上記の表現を用いれば、皇帝がテンポラリアなもの、教皇がスピリチュアリアな教会の権利をおさえる、ということになる。 関連して若干補足。「叙任権闘争によって、政教分離がなされた。」と説明されることがある。では、叙任権闘争に至るまでは政教一致であったかというと、それは厳密には誤りと思われる。叙任権闘争以前は、政教が未分化な世界であった。つまり、政教一致、政教分離という軸を設定する以前の状態であった。だからこそ、イーヴォの説明は、両者の叙任権をめぐる交渉、妥協を前進させることになったのである。
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