「東アジアの奇跡」の終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:25 UTC 版)
「東アジアの奇跡」の記事における「「東アジアの奇跡」の終わり」の解説
世界銀行が「東アジアの奇跡」を発表した1993年から翌1994年に日本では失われた10年が始まり、さらに1997年にはアジア通貨危機(金融危機)が発生し、この年の成長率はタイをはじめとした東南アジア諸国、韓国などでマイナスとなり、1990年代には概ね東アジア諸国はそれまでの成長路線の修正を余儀なくされ、対照的にアメリカ合衆国の経済はニューエコノミーと呼ばれる史上最長(戦時下を除く)の好景気を謳歌した。1994年の時点でアメリカの経済学者ポール・クルーグマンは「東アジア奇跡の神話」で資本や労働の物的投入量に頼る東アジアの成長は持続しないと断じていた。2000年代に入ると、1990年代から高成長を続けて世界第二の経済大国になった中華人民共和国が東アジアに現れて「東アジアの奇跡の再来」と評されるも、世界第三の経済大国となった日本などは低成長が続いた。
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