「有用である限りのもの」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 00:22 UTC 版)
「ヒッピアス (大)」の記事における「「有用である限りのもの」」の解説
19. ソクラテスは、そこで更に切り口を変えて、「有用である限りのもの」として「美」を調べてみたらどうかと提案。目においても、からだ全体においても、走ることにしても、相撲にしても、全ての動物にしても、全ての調度品にしても、全ての乗り物、全ての器具、全ての営みにおいても、我々はそれを美しいと呼ぶし、逆に「無用なもの」を醜いと呼ぶのではないかと。ヒッピアスも、同意する。 20. ソクラテスは、それでは「有能は美」「無能は醜」ということでいいかと問う。ヒッピアスも、同意する。ソクラテスは、それでは何にもまして「知恵は美」「無知は醜」ということになるか問う。ヒッピアスも、同意する。ソクラテスは、それでは「はたして人は、自分が知りもしないし、その能力が無いことを、何かすることができるか」問う。ヒッピアスは、否定する。ソクラテスは、しかし「心ならずも、過ちを犯し、悪事をはたらく人たち」はいるし、「人々は皆、子供の頃から善いことよりも、はるかに悪いことを多く行い、過ちを犯す」のであり、そういった「悪事をしでかしてしまう」能力や、それに役立つという意味での「有用なもの」は、「美」と呼べるのか問う。ヒッピアスは、否定する。ソクラテスは、それでは先程の定義は誤っていたと指摘。
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