「伊達」の読み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 13:13 UTC 版)
氏の由来である陸奥国伊達郡の「伊達」という地名は、もともと「いたて」「いたち」と呼ばれており、暦応2年(1339年)の文書には「いたてのかもんのすけ為景」、慶長18年(1613年)に支倉常長がローマ教皇に渡した伊達政宗の書簡や、ローマ市議会が常長に与えたローマ市公民権証書には「IDATE」とあり、伊達氏自らはこの呼び方に従って「いだて」と称していたようである。 一方で、山科教言の日記『教言卿記』の応永13年(1406年)8月4日条には「タテ」、万里小路時房の日記『建内記』文安4年(1447年)3月26日条には「タッテ」という表記が見える。このように15世紀から畿内で「だて」という読み方が広まったため、江戸時代を通じて「いだて」と「だて」が混用された。
※この「「伊達」の読み」の解説は、「伊達氏」の解説の一部です。
「「伊達」の読み」を含む「伊達氏」の記事については、「伊達氏」の概要を参照ください。
- 「伊達」の読みのページへのリンク