「一県一行」政策の下で (新)藝備銀行の発足へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 05:18 UTC 版)
「藝備銀行 (1920-45年)」の記事における「「一県一行」政策の下で (新)藝備銀行の発足へ」の解説
1937年(昭和12年)時点で県下に本拠地をおく普通銀行は当行のほか呉銀行・三次銀行・備南銀行・広島合同貯蓄銀行の4行になった。さらに戦時体制下での政府の「一県一行」政策を背景に、大蔵省・日本銀行により県下5行の合同が斡旋され、1944年12月には5行による新銀行設立の覚書が交換された。この結果、第二次世界大戦末期の1945年4月27日に5行は合併されて新立の「(新)藝備銀行」が資本金30,700,000円をもって発足し、同年5月1日には旧藝備銀行の紙屋町本店を本店として引き継ぎ開業した。これにより1912年時点で県下に最大で44行存在していた普通銀行は新藝備銀行ただ一つに整理された。
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