広島合同貯蓄銀行
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株式会社広島合同貯蓄銀行(ひろしまごうどうちょちくぎんこう)は、1921年(大正10年)12月、広島市に設立された貯蓄銀行であり、広島銀行の前身行の一つである。
注釈
出典
- ^ a b 田辺良平 『ふるさとの銀行物語[広島編]』 菁文社、2005年、p.129。
- ^ 有元正雄「広島県[銀行]」『明治時代史辞典』第3巻、吉川弘文館、2013年、p.259。
- ^ a b c d e f 被爆建造物調査委員会『ヒロシマの被爆建造物は語る』広島平和祈念資料館、1996年、p.102。
- ^ a b 『ふるさとの銀行物語[広島編]』pp.132。
- ^ a b 小川功「銀行家の資質とリスク管理-金融恐慌機の広島産業銀行を中心に-」(PDF)『滋賀大学経済学部研究年報』第8巻、滋賀大学、2001年、29-46頁、2015年12月31日閲覧。
- ^ 『ふるさとの銀行物語[広島編]』 p.27。
- ^ 岡崎哲二・浜尾泰・星岳雄「戦前日本における資本市場の生成と発展:東京株式取引所への株式上場を中心として」掲載の「表5 東京株式取引所上場会社の規模分布(公称資本金)」に拠れば、1915年と1925年の東京株式取引所上場会社の公称資本金は、次の通り。最大値:200,000千円(1915年)、440,000千円(1925年)、最小値:50千円(1915年)、63千円(1925年)、Obs.:151(1915年)、698(1925年)
- ^ 『ふるさとの銀行物語[広島編]』 p.133。
- ^ a b 銀行図書館 銀行変遷史データベース「広島合同貯蓄銀行」(外部リンク参照、2019年1月閲覧)。
- ^ a b 『ふるさとの銀行物語[広島編]』 p.135。
- ^ 『ふるさとの銀行物語[広島編]』 p.136-137。
- ^ “設計者は地元建築家 被爆の遺構「旧広島銀行銀山町支店」 豊田氏遺品から確認”. 中国新聞 (2015年12月28日). 2019年2月19日閲覧。
- 1 広島合同貯蓄銀行とは
- 2 広島合同貯蓄銀行の概要
- 3 店舗
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