「むつ念書」と九州新幹線への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 18:04 UTC 版)
「むつ (原子力船)」の記事における「「むつ念書」と九州新幹線への影響」の解説
九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)は、1973年(昭和48年)11月に計画が内定していたが、同時期に発生した第一次オイルショックにより計画が凍結された。 前述の通り「むつ」が漂流していた際、1978年(昭和53年)5月26日付で「むつ念書」が取り決められた。佐世保市の修理受け入れの見返りとして、他の整備新幹線とともに西九州ルートの優先着工が記された。この文書には、政権与党である自由民主党の大平正芳幹事長、中曽根康弘総務会長、江崎真澄政調会長が連名で署名し、原本は長崎県庁で保管されている。当時の長崎県知事は久保勘一である。 しかし、国鉄分割民営化を経て、1992年(平成4年)に佐世保市を経由しないルートが地元案として決定され2022年秋に部分開業する。
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