2001年宇宙の旅 スタッフ

2001年宇宙の旅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 04:25 UTC 版)

スタッフ

作品解説

1964年に公開された「Dr.StrangeLove」(邦題・博士の異常な愛情)で高評価を得たキューブリックは「宇宙人東京に現わる」(1956年)に触発され[3]、科学ノンフィクションを読み漁り、さらに意欲的な”語り草になるような良質の空想科学映画作品”の構想を練っていた。アーサー・C・クラークと互いの頭の中の知識をやり取りし、ファーストコンタクトを題材とした映画制作と小説(兼・脚本)の並行作業という形で話は決まり、クラークはホテル・チェルシー1008号室にて執筆に取りかかる。

撮影は1965年12月30日に開始し、イギリスのMGM-British Studios(ボアハムウッド)を中心拠点にして進められた。翌1966年5月までに俳優の演技シーンを撮り終えたが、SFXシーンの完成までさらに1年半以上を費やした。製作費は予定の600万ドルを大きく超過し1050万ドルに達した。

映画は70mmシネラマ規格で制作された。キューブリックは映像表現にシネラマスクリーンでの上映効果を最大限に狙っている。視覚効果では「Dr~」でB-52の特撮を担当したウォーリー・ビーバーズのほか、ダグラス・トランブル、コン・ペダースン、トム・ハワードなど少人数しかクレジットされていないが、実際には巨大なプロジェクトであり、視覚効果デザインの上で科学考証に多くの科学者、研究者が参加している上、撮影でも10年を経てイギリスで特撮チームを率いることになるブライアン・ジョンソン(『エイリアン』12)、ゾラン・ペリシック(『スーパーマン』)、マット画合成を担当したリチャード・ユリシッチを含むデザイナー、撮影や現像、合成、アニメーションのスペシャリストが多数参加している。

ディスカバリー号の乗員達が食べる宇宙食は、NASAが実際に開発して本作のために提供したものである。また本作に登場するコンピュータの設定や画面はIBMが全面協力しており、当初は随所に同社のロゴがあしらわれていたとされる。ただ制作中に「コンピュータが人間を殺害する」というストーリーであることが判明したため難色を示した同社は制作途中から手を引き、ロゴもすべて除去された[注 8]という通説が有名になっている[注 9]。アリエス1B型の計器盤およびディスカバリー号乗員が着用する宇宙服の左腕コンソールに取り残されたIBMロゴが確認できる。

当初キューブリックは美術担当として漫画家の手塚治虫の協力を仰いだが、当時の手塚は連載漫画の他に、連続テレビアニメの制作や原稿を多数抱え、日本国外での映画制作に携わることは物理的に不可能であったため、オファーを断った。「200名もの人間を食わせなければならないので」云々と云う主旨の返信を送ると、キューブリックは「家族が200人もいるのか?!」と驚嘆したという[4]。手紙自体は紛失してしまったが、封筒の写真は手塚のエッセイ本に掲載されている。

脚本

キューブリックが、「クズと見なされない最初のSF映画」であり、「宇宙におけるヒトの位置を描く映画」を撮る企画をたてた1964年に、当初はアーサー・C・クラークの『幼年期の終り』の映画化も構想したが、すでに映画化権が他社により取得されていた[5]

その経緯もあり、キューブリックは共同での物語作り、科学考証、共同脚本などをクラークに依頼をした[6]。当初、キューブリックはラジオドラマ『太陽面の影』を元にした地球侵略物を提案していたが、クラークが、人類の進化を描き、宇宙への進出と異星人とのコンタクトでその進化がクライマックスに達する物語を提案した[7]

クラークはすでに、宇宙人と人類のファーストコンタクトを描いた小説『前哨』を1948年に発表(ハヤカワ文庫の同名短編集などに収録)の他「地球への遠征」等の他4篇の短編小説を下敷きにしてプロットを組み上げて執筆した。後にクラークが発表した『失われた宇宙の旅2001』によると、キューブリックとクラークがアイデアを出し合い、先ずはクラークが「小説」としてアイデアをまとめあげ、その後キューブリックが脚本を執筆している。

題名は仮題として『太陽系はこうして勝ち取られた』から『宇宙』、『星々へのトンネル』、『星からの贈り物』、『星のかなたへの旅』とかわり、最終的に『オデュッセイア』との共通点もありキューブリックの決断で現在の題名に変わった[8]

撮影技術

オープニングなどではモンタージュが駆使された。カメラマン出身で撮影技術に長けたキューブリックは、SFX撮影スタッフと共に「フロントプロジェクション」や「スリットスキャン(スリット越しに被写体を、シャッターが開いた状態で撮影する技術)」といった新たな撮影方法を考案した。

宇宙空間では大気が存在せず、遠くの物体も鮮明に見えることから、カメラのレンズを極限まで絞り込み、それによって不足した光量を補うために1フレームに4秒以上の超低速度撮影が使用されている。

作中、宇宙船のコンソール等の各所にワイヤーフレームによる3次元コンピュータグラフィックス風の映像が埋め込まれているが、それらは全て実物のコンピュータグラフィックスではなく、計算尺で計算して手作業で描いたアニメーションや、針金で作ったワイヤーフレーム風の立体モデルを撮影した映像などが用いられている(Sketchpadなど、まだ実物のコンピュータグラフィックスは研究室の時代であった)。

キューブリックは飛行機恐怖症のため猿人達のシーンをアフリカでは撮影できず、撮影班をアフリカに送って大面積のスチル写真を撮影し、スタジオでフロント・プロジェクションを使った合成を行っている。スターゲートの映像の中には色彩が加工されたモニュメント・バレーの空撮映像も含まれており、アメリカで行われるプレミアのため、キューブリックはアメリカに向かう船の中で編集作業を行った。

フロント・プロジェクションの導入はまだ一般的ではなかったが、1963年に邦画『マタンゴ』(監督:本多猪四郎)でも採用している。キューブリックは完璧を求めるため、3M社とも協力して効果的に鮮明な撮影を行った。先進的な取り組みであったが、画像を見ると空の部分に刷毛で塗ったような跡が見えている。

画像合成の簡略化を図ったため、どの宇宙船も宇宙に浮かぶ地球や月や木星を画面内で滅多に横切らない。

本映画に登場する地球の姿は実際より青白くなっている。これは撮影当時大気圏外からの地球の姿を撮ったカラー写真が1954年10月5日にエアロビーRTV-N-10bにより撮影された高度257kmからの117枚モザイク写真と1965年3月18日にボスホート2号が地球衛星軌道から撮影したものしか存在しなかったからである(初の地球全球写真はジョンズ・ホプキンス大学応用物理研究所のDODGEにより1967年9月20日に撮影され同年11月10日に発表されたがこの写真は映画制作には間に合わなかった)。本映画に登場した地球の色はボスホート2号が撮影した地球の色とよく似ている。

小説版では土星だが特撮部が土星を制作するもののキューブリックが納得できる基準に満たなかったため本作では木星に設定変更された。

本作で使用された宇宙船の模型は他作品への流用を防ぐため、キューブリックの指示で図面も含めて廃棄処分されたことから資料が少なく、舞台となるディスカバリー号でも撮影に使われた模型の全長が57フィートと54フィートの説があり、左側面は資料が存在しないなど不明な点が多い。2018年10月25日には海洋堂が研究書の写真などからディテールを補完した1/10スケールモデルの受注生産を開始した際には54フィート説を採用した[9]。なお『2010年』の撮影に当たっては『2001年』の映像を参考に約100mと設定された模型が新規に作成された。現存するのはアリエス1B型月シャトルのみであり、アメリカ映画芸術アカデミーが所有している。

音楽

それまでのSF映画では未来的イメージの電子音楽などが用いられることが多かったが、当作品の映画版では、全篇にわたってクラシック音楽の名高い楽曲が数多く用いられている。

音楽を選定するのにあたり監督はスタッフに対していろいろなジャンルのレコードを集めさせたが、その時の指示としては「ミュジーク・コンクレートのようなゴミはいらない」との指示を出している[10]

ジェルジ・リゲティには一切映画についての説明や承諾もないまま、彼の曲を4曲採用した。リゲティが印税を受け取ったのは、1990年頃になってからだという。

なお、(1)メインタイトル、(2)「人類の夜明け」、(3)ラストと合計3回使われている『ツァラトゥストラはかく語りき』の演奏はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団デッカ・レコード録音版だが、デッカ(1968年当時は日本国内ではロンドン・レーベル)が演奏者名を出さないことを許諾の条件としたので、映画のエンド・クレジットでは曲名しか表示されていない。

終盤ボーマン船長が年齢を重ねていくシーンでは、BGMに『南極交響曲』を使用したバージョンもつくられた。

「入場曲」および休憩時「間奏曲」の『アトモスフェール』、「退場曲」の『美しく青きドナウ』は、映像ソフトでは1989年発売のクライテリオンLD-BOX[11]まではカットが慣例化しており、休憩のクレジット自体も初期の映像ソフトではカットされていた。

使用された音楽

  • 上映前の「入場曲」および休憩時の「間奏曲」(リヴァイヴァルでは黒味のまま映写)にはジェルジ・リゲティの『アトモスフェール』。
  • メイン・タイトルにはリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』の導入部。
  • ヒトザルたちがモノリスに遭遇する場面でのリゲティの『ソプラノ、メゾ・ソプラノ、2つの混声合唱と管弦楽のためのレクイエム』。
  • ヒトザルが骨を武器にすることに目覚めるシーンでは、再びリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』導入部。
  • シャトルと宇宙ステーションとのドッキング場面はヨハン・シュトラウス2世の円舞曲『美しく青きドナウ』。
  • アリエス1B型が月へ向かう場面は再びヨハン・シュトラウス2世『美しく青きドナウ』。
  • 月面をムーンバスが低空飛行する場面でのリゲティの『ルクス・エテルナ(永遠の光を)』。
  • フロイド博士らが発掘されたモノリスを見る場面では、再びリゲティの『レクイエム』。
  • ディスカバリー号が木星に向かう途上でのアラム・ハチャトゥリアンの『ガヤネー』(ガイーヌ)から「アダージョ」。
  • BBCのニュースのオープニングとして使われたのはシドニー・トーチの『オフ・ビート・ムーズ』。
  • HAL9000が乗員の会話を読唇したところで休憩に入り、リゲティの『アトモスフェール』が再び流れる。
  • 意識がうすれつつあるHAL9000が「デイジー・ベル」(作詞作曲:ハリー・ダクレ、1892年)を歌う(1961年にベル研究所のチームが電子計算機での音声合成による歌唱を世界で初めて実演したときの曲が「デイジー・ベル」であったことにちなむ。そのデモをクラークも見学していた。)。
  • 木星に近い空間をモノリスが浮遊している場面では、みたび、リゲティの『レクイエム』。
  • 木星空間からのめくるめく異次元への突入にはリゲティの『アトモスフェール』。
  • ボーマン船長が到着した白い部屋ではリゲティの『アヴァンテュール』など。
  • ラストのスターチャイルドが地球を見下ろす場面では、みたび、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』導入部。
  • エンド・クレジットおよびその後の「退場曲」にはヨハン・シュトラウス2世の『美しく青きドナウ』。

未使用となった音楽

キューブリックは当初、自分の監督作品『スパルタカス』の音楽を手がけたアレックス・ノースに作曲を依頼し、前半部分まで完成したスコアの録音まで完了していた(この最中にノースは過労で倒れてしまった)。しかしそれ以降は一切の連絡もないままノースの音楽を没にし、リヒャルト・シュトラウスなどの音楽に差し替えてしまう。ノースがそのことを知ったのは、試写会の会場であった。ノースはこれに激怒し、訴訟寸前にまで至った。ノースの死後、友人のジェリー・ゴールドスミスは没になった彼の音楽を録音[12]し、1993年10月12日にヴァレーズ・サラバンド・レコーズから『Alex North's 2001 』(VSD-5400)としてCD発売した[注 10]。日本でも『2001年〜デストロイド・ヴァージョン〜』(1993年12月1日発売、サウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ(SLC)、SLCS-5021)のタイトルで発売されている。

更に、1968年に録音されたアレックス・ノースのオリジナル・スコアのマスターテープが発掘され、2007年1月26日に Intrada Records より『Music for 2001: A Space Odyssey (The Original Score by Alex North) 』としてCD化され[13]、3000セット限定で発売された。

[注 11]

難解とされるラストシーンの解釈

ボーマン船長の旅のストーリーの結末をどうするのか、ラストシーンは脚本草稿の段階で、アーサー・C・クラークによって『ボーマンが異星の宇宙船の傍らに立っている』や『信じられないほど優美なヒューマノイドと出会い旅立っていく』など複数のパターンが監督のキューブリックに提案されたが、いずれもキューブリックの納得のいくものではなく、いくつものアイデアが却下された。 『何回書き直し、何回行き詰まったか、数えることもできない。かなり落ち込んでいる』と当時の状況を著書『失われた宇宙の旅 2001』の中でクラークは書いている。最終的には『ボーマンが子供へ逆行し、結末では赤んぼうとなって軌道上に浮かぶ』というアイデアが採用されることに帰着した。 クラークの小説『2001年 宇宙の旅』では結末は『モノリスから、人間を含む多くの種族が誕生したのだ』となっている。これはつまり、「究極に進化した地球外生命体の“遺物”であるモノリスにより、人間は太古の昔より進化をしてきたが、今度は人間が(ボーマン船長が)肉体を離れて精神のみの生命体へとさらなる進化をする。宇宙にいる多くの種族がそうして進化をしてきたように、人類もようやくその仲間入りをし、宇宙の一部になったのだ。それが地球外生命体の目的だった」という結末であり、それを「宇宙空間に胎児の姿で浮遊する」というビジュアルで表現したものであった。 その後のボーマンの“エネルギー生命体”としてのストーリーは、続編の小説『2010年 宇宙の旅』、『2061年 宇宙の旅』、『3001年 終局への旅』へと続く。ちなみに、モノリスの主人である地球外生命体は、『3001年 終局への旅』では、数百光年彼方に存在するとしている。 当初クラークは、難解なストーリーの内容の観客への理解を促すために、映画全編にわたって説明用のナレーションを多数書き上げており、脚本にはナレーションが記載されているが、映画ではそれらは全く使われることはなかった。「言葉で説明をしてしまうと、せっかくの未知の世界との遭遇が、陳腐なものになってしまうから」とキューブリックは判断したのだ。しかし、ラストシーンを含め、それでも、映像だけでこの本来のストーリーを解釈するには、説明不足の感は否めない。映画以外の資料を参照して、初めて物語の起承転結を理解できる[要出典]


注釈

  1. ^ 骨から直結されたのが、パンアメリカン航空(PAN AM)のマークをつけた宇宙船と勘違いされることがあるが、パンナム便は最初の宇宙船の後で出てくるので、骨と直接つながってはいない。
  2. ^ 続編の映画『2010年』冒頭によると、月のモノリス発見が1999年、ディスカバリー号内の出来事が2001年の出来事とされている。
  3. ^ 日本語字幕では「吸盤靴」と翻訳されている他、「磁力靴」とされている場合もある。
  4. ^ 現実世界では2001年以前の1991年に破産している。
  5. ^ 公開当時は「ケア・ダレー」と表記されていた。※どこで?
  6. ^ キューブリック監督の実の娘。
  7. ^ 公開当時は「カブリック」の表記だった。のちに「クブリック」となり、更に現在の「キューブリック」に落ち着いた。
  8. ^ それでもディスカバリー号の食事シーンで映るタブレットPC"Tele Pad"にはIBMのロゴが残っている
  9. ^ 結果的に2001年前に同社が何らかの憂き目によって、社名の変更や倒産した場合、途端に時代遅れの作品というリスクを避けられた。
  10. ^ 同じく1993年発売で冒頭曲「ファンファーレ」を収録したエリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラによるテラーク・レーベルのアルバム「ハリウッド・グレイテスト・ヒッツ Vol.II(CD-80319,1992年12月録音)」の解説ではノースの未亡人から譲り受けたスコアを演奏に用いたという記述がある。
  11. ^ なお、ノースが本作のために書いたスコアは1968年の『栄光の座』、1974年の"Shanks"、1981年の『ドラゴンスレイヤー』に部分的ながら転用された。この3作はいずれもアカデミー作曲賞にノミネートされている。
  12. ^ フランク・ボーマン(Frank Borman)とデヴィッド・ボーマン(David Bowman)では若干スペルが異なる。
  13. ^ カラヤンの『ツァラトゥストラはかく語りき』セッション録音は3種あり、ベルリン・フィル版はいずれも映画の公開より後である。(1) ウィーン・フィル(英デッカ・レコード、1959年3月(32'45"))、(2) ベルリン・フィル(ドイツ・グラモフォン、1973年1月・3月(34'54"))(3) ベルリン・フィル(ドイツ・グラモフォン、1983年9月(35'57"))
  14. ^ a b 日本語のライナーノートでは「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」と誤記されている。
  15. ^ 10月8日から11日までを除く

出典

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)251頁
  2. ^ a b 2001年宇宙の旅[吹替補完版]”. 2016年10月28日閲覧。
  3. ^ Baxter, John (1997). Stanley Kubrick: A Biography. New York: Basic Books. p. 200. ISBN 0-7867-0485-3. https://archive.org/details/stanleykubrickbi00baxt/page/200 
  4. ^ 1988年キネマ旬報社刊『キューブリック好き!』より。
  5. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.73-74
  6. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.78
  7. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.80-89
  8. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.111、115、133-134
  9. ^ 海洋堂の「ディスカバリー号」プロップ再現モデル、受注受付開始 - GAME Watch
  10. ^ 2001:キューブリック、クラーク ISBN 9784152098269
  11. ^ 2001: A Space Odyssey: Special Edition #60 (1968) (Uncut)”. LaserDisc Database. 2015年11月9日閲覧。
  12. ^ 指揮:ジェリー・ゴールドスミス、演奏:ナショナル・フィルハーモニー・オーケストラ
  13. ^ Music for 2001: A Space Odyssey (The Original Score by Alex North) - オールミュージック. 2015年11月9日閲覧。
  14. ^ シネマトゥデイの記事[1]
  15. ^ ワーナー ブラザース ジャパンの公式サイト[2]
  16. ^ ハヤカワ文庫SF旧版(SF243)17章 p. 123より「その背後の長いすらりとしたVの字は、原子炉の余剰熱を消散させる放射翼。(略)最大の推力で加速していたときにはサクランボウ色に輝いていた巨大な放射翼も、今では黒く冷たい」、29章 p. 191より「数千平方フィートの放射翼」
  17. ^ 『S-Fマガジン』1980年10月号の「スタジオぬえのスターシップ・ライブラリー」、『スタジオぬえメカニックデザインブック』では p.177
  18. ^ 2001: A Space Odyssey - オールミュージック. 2015年11月9日閲覧。
  19. ^ 「2001年宇宙の旅」オリジナル・サウンドトラック (東芝EMI): 1999”. 国立国会図書館. 2015年11月9日閲覧。
  20. ^ 製作50周年記念 『2001年宇宙の旅』70mm版特別上映 | 国立映画アーカイブ”. www.nfaj.go.jp. 2018年9月3日閲覧。
  21. ^ “映写技師の奮闘に拍手巻き起こる!「2001年宇宙の旅」70ミリ版上映がスタート”. 映画.com. https://eiga.com/news/20181006/10/ 2018年10月19日閲覧。 
  22. ^ “「2001年宇宙の旅」70ミリ版、全回満席で終了 10月19日からIMAX劇場上映スタート”. 映画.com. https://eiga.com/news/20181017/18/ 2018年10月19日閲覧。 
  23. ^ https://www.nytimes.com/2018/05/11/movies/2001-a-space-odyssey-christopher-nolan-cannes.html
  24. ^ “「2001年宇宙の旅」がUHD BD化。BDもリマスター。2週間限定でIMAX上映も”. AV Watch. https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1143979.html 2018年10月19日閲覧。 






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