遙洋子
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経歴
1984年(昭和59年)放送開始のテレビ番組『ときめきタイムリー』(読売テレビ)に出演し[1]、約8年間に亘って上岡龍太郎とともに司会を務めた。1986年(昭和61年)には、テレビ番組『週刊トラトラタイガース』[1]のキャスターとなり、その後14年以上に亘って川藤幸三と共演した。
1997年(平成9年)から3年間、東京大学大学院の上野千鶴子ゼミに特別ゼミ生として通い、フェミニズム社会学を学ぶ[1][2]。2000年(平成12年)、著作『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(筑摩書房)がベストセラーとなった[3]。
個人事務所「遙洋子ネットワーク」を設立し、舞夢プロと業務提携している。主な活動拠点は大阪、次いで東京であるが、日本全国での講演や取材も行っている。[要出典]
趣味は宝塚歌劇の観劇で[4]、同劇団による貸切公演の司会・トークショーを2004年(平成16年)から担当している。
働く女性が介護を抱える葛藤を描いた著作『介護と恋愛』は、2006年(平成18年)にNHKで『介護エトワール』としてドラマ化され、遙は同ドラマの脚本も手がけた[5]。同年の文化庁芸術祭参加ドラマに選ばれた。
テレビ番組 『胸いっぱいサミット!』(関西テレビ)にレギュラーとして出演していた。『ビビット』(TBS)に準レギュラー出演。また、ウェブサイト 『日経ビジネスオンライン』で、コラム『男の勘違い 女のすれ違い』、2010年(平成22年)4月から「遙なるコンシェルジュ『男の悩み 女の嘆き』」の連載を行っている(金曜掲載)。
人物
著作・発言共に女性を応援するメッセージが多い。メディア出演も、働く女性を代弁するものや、介護を語るものなどが多い。
趣味は、宝塚歌劇の観劇、クラシックバレエであり、特技は日本舞踊とピアノ演奏[6]とのことである。
子供の頃から古風な考えの両親や学校の先生達から「女は家庭に入るべき」と言われて育った影響から、女性だけが家事や家族の介護をする日本古来の結婚制度に対して否定的な考えがあり、独身(結婚歴なし)である。親交のあったやしきたかじんが逝去した際には「(独身の遙が)テレビの報道で初めてたかじんの訃報に接する事のないように」との関係者の配慮により、報道の前にたかじんの夫人から「やしきが「(遙さんと)お茶したい」と言ってます」と遙に連絡し、彼女がたかじんの自宅を訪れた際にそこで訃報が伝えられた。
著書
- 『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(2000年1月、筑摩書房)ISBN 4480818154
- 『結婚しません。』(2000年9月、講談社)ISBN 4062103974
- 『働く女は敵ばかり』(2001年5月、朝日新聞社)ISBN 4022576030
- 『野球は阪神私は独身』(2002年2月、青春出版社)ISBN 4413033205
- 『介護と恋愛』(2002年3月、筑摩書房)ISBN 4480814418
- 『ハイブリッド・ウーマン』(2003年1月、講談社)ISBN 406211478X
- 『美女の不幸』(2004年12月、筑摩書房)ISBN 4480814701
- 『日本の論点2003』(2002年11月、文藝春秋、共著)ISBN 4165030201
- 『働く女は腕次第』(2006年6月、朝日新聞社)ISBN 4022501936
- 『女の敵 (NB Online book)』(2007年6月、日経BP社)ISBN 4822246256
- 『主婦たちのオーレ!』(2008年11月、筑摩書房)ISBN 4480804153
- 『女ともだち』(2008年12月、法研)ISBN 4879547484
- 『死にゆく者の礼儀』(2010年3月、筑摩書房)ISBN 4480878165
- 『気難しい女性との上手な接し方』(2010年3月、朝日新聞出版)ISBN 4022507195
- 『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』(2015年2月、筑摩書房)ISBN 4480815236
- 『老いの落とし穴』(2020年11月、幻冬舎新書) ISBN 4344986083
固有名詞の分類
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