竹内実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 13:16 UTC 版)
人物情報 | |
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生誕 |
1923年6月12日 中国山東省 |
死没 |
2013年7月30日 (90歳) 日本 |
出身校 | 東京大学 |
学問 | |
研究分野 | 中国文学・中国学 |
研究機関 | 京都大学人文科学研究所・立命館大学 |
経歴
1923年、中国山東省(現在の淄博市(しはく)張店区)に生まれた[2]。日本へ帰国後、二松學舍専門学校(現二松學舍大学)在学中に学徒出陣を経験するが、敗戦直前に病気除隊した。
第二次世界大戦後、1949年に京都大学文学部中国語学文学科を卒業し[2]、東京大学大学院修士課程修了と同時に社団法人中国研究所へ入所した[2]。その後、旧東京都立大学助教授となった[2]。1973年京都大学人文科学研究所[2]教授、1987年に定年退官[2]、名誉教授となる。その後も立命館大学国際関係学部教授[2]、北京日本学研究センター教授、杭州大学日本文化研究所、松阪大学教授[3]。
1987年(昭和62年)から1994年(平成6年)まで現代中国研究会会長を務めた。2013年7月30日、京都市内の病院で逝去[4]。90歳没。
業績・活動
世界に先駆けて毛沢東の原典集『毛沢東集』を編纂し、中国を含む各国の研究者に研究の基礎を提供した[1]。1960年(昭和35年)には野間宏、大江健三郎らと共に中華人民共和国を訪問し、毛沢東と会見している[2][5]。武田泰淳とともに『毛沢東 その詩と人生』を刊行し、毛沢東の人間像を論じて話題となった[2]。文化大革命中は、文革や当時の中国共産党に批判的な姿勢を貫き、文革終結後にその姿勢が高く評価された。
発言
1978年、鄧小平副首相が来日した際、ロッキード事件の渦中にいた田中角栄の私邸を訪問したことについて、朝日新聞の取材に応じ「個人の信義を重んじるのは中国の美しい伝統ではあるが、日本の大衆の気持ちも理解してもらわないと。」とコメントしている[6]。
- ^ a b c d “竹内 實”. 福岡アジア文化賞. 2022年4月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “竹内實 プロフィール”. 福岡アジア文化賞委員会. 2022年4月閲覧。
- ^ 日本人名大辞典
- ^ 竹内実氏が死去 現代中国研究の第一人者、京大名誉教授 日本経済新聞 2013年8月1日閲覧
- ^ 中国文学者・竹内実氏が死去…毛沢東論など執筆 読売新聞 2013年8月1日閲覧
- ^ 目白久々大はしゃぎ 鄧副首相の田中元首相訪問 郎党40人が総出動『朝日新聞』1978年(昭和53年)10月24日朝刊、3版、11面
- ^ 「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』1999年11月3日朝刊
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