立命館大学 学生生活(課外活動・自治活動など)

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立命館大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 22:05 UTC 版)

学生生活(課外活動・自治活動など)

学生会館(衣笠キャンパス)
リンクスクエア (BKC)
立命館大学学園祭セントラルステージ(びわこ・くさつキャンパス)
立命館大学学園祭大夜祭ステージ(衣笠キャンパス)

立命館大学学友会

立命館大学には、新歓運動や学園祭などの全学行事の他、新入生支援等の互助活動や大学との交渉を前提とした要求実現運動といった自治活動などを統括する組織「立命館大学学友会」がある。

全員加盟制をとっており[50][51]、学生は学友会に加盟することで立命館大学の掲げる「全構成員自治」の一員となり、その代表は「全学協議会」などで教学やキャンパス高度化、学生生活、学費、学園の事業など大学の運営に関する議論に参加している[6][52][53]

同組織は中央委員会を基幹の会議体と位置づける。同会を形成する組織には様々ある。まず同会の基幹パートとして、中央常任委員会、学園振興委員会、全学自治会、中央事業団体の機関が置かれている。中央事業団体は応援団(チアリーダー部・吹奏楽部を内包する)、新聞社、体育会、放送局(RBC)の四部から成る。 体育会は、管轄下に置かれる学友会所属団体(公認団体、部・同好会)を統括する。

また中央常任委員会の事務を担う組織として、中央事務局(財務部、特別事業部、調査企画部を内包する)が置かれている。 財務部は学友会全体の財務処理を担い、特別事業部は新歓期および学祭期の業務を担う。 調査企画部は同会の官報の発信、学友会所属団体の管理・支援を行う。学友会所属団体には団体区分があり、各上から順番に中央事業団体、中央パート、公認団体、部・同好会、任意団体、登録団体とあり、それぞれ学内で行使できる権利に差異がある。このうち調査企画部は、登録団体を統括する。

次に中央パート団体として、全学自治会の管轄下に各学部自治会、学術部及び学芸総部が置かれる。各学部自治会は、各学部単位における要求実現運動を主眼とし、学術部及び学芸総部は、管轄下に置かれる学友会所属団体(公認団体、部・同好会、任意団体)を統括する。

このような課外活動の主な拠点は、学生会館(衣笠)およびセントラルアーク (BKC)、リンクスクエア (BKC)、スチューデントラウンジ (OIC) となる。また、体育会所属団体は各部の練習グラウンドにあるクラブハウスが活動の中心となる。

学園祭

学友会が中心となって運営する立命館大学学園祭実行委員会の主催による「立命館大学学園祭」が例年11月に行われている。従来はびわこ・くさつキャンパス (BKC) で2日間、衣笠キャンパスで2日間の計4日間開催されていた。3キャンパスとなった2015年は各キャンパスで1日ずつの計3日間となり、1週間ごとの日曜日に開催された。しかし、3キャンパスを移動しながら展示会場などを設置することには無理があったこともあり、2016年度は開催日程の発表が極めて遅れた上、びわこ・くさつキャンパスの1キャンパスのみで1日だけの開催となった。2017年度以降は、新型コロナウイルス感染症の影響で中止された2020年度を除き、11〜12月にかけて2週間ごとの日曜日に、各キャンパスで1日ずつの計3日間開催で落ち着いている。

4日開催の時の来場者数は、延べ約10万人[54][55]と公表されている。

学生文化の集大成を発表する場として、各課外活動団体やサークルによる一般企画や学園祭実行委員会による実行委員会企画(模擬店、フリーマーケット、野外ステージ企画、タレントによるコンサートなど)などが催される。

学園祭運営体制

学園祭の運営は立命館大学学園祭実行委員会によって行われる。 学園祭実行委員会は、中央常任委員会の責任の下、中央委員会から予算の決定を含めた全ての権限を移譲される。ある程度の企画および立案は、中央事務局特別事業部をはじめとした関係各所が企画・立案し実行委員会でその企画意図や立案趣旨、予算などの審議が行われる。学園祭の理念に相応しい企画であるか、学友会費を支弁するに相応しいかなどの視点から幾度も審議が重ねられ、最終的に実施の可否について参加委員の多数決にて結論を出す。

実行委員会は、学園祭実行委員長、学園祭実行委員長補佐、学園祭副実行委員長(衣笠祭典委員長)、学園祭副実行委員長(BKC祭典委員長)、学園祭副実行委員長(OIC祭典委員長)、学園祭副実行委員長補佐、中央事務局特別事業部長により構成されている。実行委員長は年度により異なる。各キャンパス内のみで終結する企画については、キャンパス別会議が開かれ、審議が行われる。また形式上、実行委員会の委員には大学教職員からの委員は入っておらず、大学職員と緊密に連携を取りつつも、ほぼ学生による自治・創造性に任された運営が行われている。

実行委員会の実務を担う組織として、中央事務局特別事業部に衣笠支局(さいぢ)、OIC支局(ふぇすぢ)およびBKC支局(いべぢ)が設けられている。

新歓祭典

学友会が中心となって運営する立命館大学新歓実行委員会の主催による「新歓祭典」が、例年4月下旬にびわこ・くさつキャンパス (BKC) で1日間開催される。運営体制については、学園祭に準ずるかたちとなる。新入生を歓迎する祭典として、各課外活動団体やサークルによる企画や新歓実行委員会企画、新歓事務局による模擬店、野外ステージ企画など、様々な催しが行われる。

衣笠・BKC・OIC各キャンパスの全新入生の参加が推奨されており、歓迎の対象となる新入生が自ら小規模演習の各クラスから模擬店を出店することが恒例となっている[56]

部活動

スポーツ

大学創立当初より、文武両道の精神からスポーツには力を入れていたが、衣笠キャンパスの産業社会学部に「スポーツ学科(スポーツ社会)」が設けられた後、2010年には、びわこ・くさつキャンパスに「スポーツ健康科学部」が設けられたことにより、運動に長けた選手が入学し、アメリカンフットボールや女子駅伝等、大学上げての強化が成功し、各部、実績を上げている。

文化系

立命館大学では文化系のクラブ活動も盛んである。以下に特筆される文化系の部活動の活動実績を記す。

  • 1939年に初号が発行された学生新聞『立命館』を源流とし、2019年に創刊80周年となった立命館大学新聞社は、上述した学友会の中央事業団体に所属する立命館大学最大の学生メディア団体である。紙媒体の新聞を季節毎に発行するほか、ウェブサイトでニュース配信を積極的に行っており、学生運営でありながら、立命館大学から独立した報道機関として、マスメディアの役割を担っている。
  • 1982年に設立した立命館大学クイズソサエティーでは、現役生やOB・OGを問わず、同会出身の解答者がテレビのクイズ番組で優秀な成績を残す者も多く存在するなど、極めてレベルの高いクイズクラブであり、私立大学の中ではトップ級のクイズ研究会である。
    • また、1989年より年に1回、概ね毎年秋に、立命館大学クイズソサエティーの最大のライバルで、また国立大学のクイズ研究会ではトップ級である、名古屋大学のクイズクラブである名古屋大学クイズ研究会との対抗戦「名立戦」[注 6]が、国立大学と私立大学との壁を超えて開催されている[58]
  • 立命館大学将棋研究会も、近年、学生将棋でトップクラスの成績を収めており、多くのアマチュア将棋強豪を輩出している。

注釈

  1. ^ 使用例は、『立大前鍼灸接骨院』等がある
  2. ^ 桑原武夫の研究(「左派の長者」『追悼 末川博』(1979年)有斐閣 pp.247-248)によると学生が「禁衛隊」を名乗り京都御所の警護を申し出ていたために、GHQ神宮皇學館とともにとり潰す大学の筆頭としたという。
  3. ^ 山崎有恒は中川の教育理念について中川の発言を以下の通り引用する:「私は学園の園丁である。自由放任主義で干渉しない、諸君を立派な有望の人物としたい。勉強することを望む。諸君も『国家有為の在幹』となるため勉強することを望んでいるはず。目的が一緒なので放任主義でいく。諸君は勉強してほしい。そのための条件は私ができる限り整える」。その上で山崎は、「要は自由放任主義だった。自由放任主義だからこそ生まれてくる力強さ、たくましさ、それこそが中川にとって、もっとも美しいものであって、これは<中略>学生育成方針に反映されていた。<中略>戦前の立命館大学に、極めて自由な空気が流れていた原点はここにあった」と述べている(「中川小十郎の教育理念と戦後を創った卒業生たち : 戦前期立命館大学再考」『立命館史資料センター紀要』 第1巻 (2018年3月)立命館史資料センター p.10)。
  4. ^ 改組後も「大学」の学生募集は行わており、5月に全面改正された寄附行為においても財団法人立命館が設置経営する学校として「大学令ニ依ル立命館大学」を挙げていた[22]
  5. ^ このマークは、1960年(昭和35年)に法学部三回生だった学生によりデザインされたもの。学園創立60周年を記念して新たなマークを公募した中から選ばれた。デザインがカメに似ていることから、当時の学生からは「カメ・マーク」「亀の子マーク」等と呼ばれていた
  6. ^ この大学対抗戦のみ、立命館大学の他の大学対抗戦とは異なり、例外的に「立名戦」とは称さずに、名古屋大学側と同じ「名立戦」と公式に称している(立命館大学クイズソサエティーの公式ホームページ[要文献特定詳細情報]でも「名立戦」と記述している)。これは「立名」とすれば同大学の略称の一つである「立命(りつめい)」と読みが同じとなることから、混乱を防止するためである。
  7. ^ a b 立命館総長だった中川小十郎は、「何も知らずに買った土地が本校が大変御世話になっている西園寺公の御先祖が住まはれた土地であったことがわかり今更因縁浅からざるを痛感した」と述べている[62]
  8. ^ 「元来衣笠山周辺一帯の地域は西園寺家の所領であったが、足利三代将軍義満が所望して、大和の某地を替地として交換したという古い記録がある。校地の整地中、西園寺家の定紋である左巴のついた古瓦が、続々と掘り出された事実と称号して、この地がかつて壮麗を誇った西園寺の遺址であることは明らかである。いずれにしても西園寺公望に臣仕した中川小十郎(総長)が、その終生の事業をこの地に選んだことは、偶然とはいえ奇しき因縁といわざるを得ない[63]。」
  9. ^ 島津久光は洛北衣笠山のふもとに、1万6千余坪の土地を取得し調練場にした。場内に弾薬庫、陣屋、休息所、勤番所を設け、常に動番士10数名を置いた。西郷隆盛を従えてたびたび小松原の陣屋を訪問したという[64]
  10. ^ 薩摩藩家老の桂久武による『桂久武日記』には、「この日、きん笠山(衣笠山)下へ調練場おとりなされたき吟味もこれあり候処、見分(検分)のため参るべしと申し談ず」と記されている[65]
  11. ^ 1991年、溥儀の弟である愛新覚羅溥傑中華人民共和国全国人民代表大会代表・同常務委員会委員として立命館大学第19号名誉法学博士号を得ている。また、愛新覚羅烏拉熙春が現在立命館アジア太平洋大学で教鞭をとっている。
  12. ^ 立命館大学[畑中和夫名誉教授は、愛新覚羅溥傑氏への名誉法学博士号贈呈の経緯について問われた際、以下のように述べている。(以下、引用)『昭和14,5年頃の日満高等学校の設立にあたり、当時のお金で50万円という巨額の寄付を愛新覚羅溥儀から受けた。そのうち20万円で、衣笠の6万坪の土地を購入し、校舎を建て、さらに学生向けの奨学金の基金も創設できた。満州国皇帝からの寄付を受けたのは立命館と秋田工業専門学校(現秋田大学の前身)の2つだった。この寄付の一件について、満州国と立命館の仲介をしたのが、当時、満州国駐日大使として日本にいた溥傑氏であった。月日が流れて、溥傑氏が中国全人代の中の常務委員としての肩書きで訪日し、清水寺を訪ねた折のこと、思い出話の中で、この寄付の一件を溥傑氏が覚えていて「そのような縁のある立命館を見てみたい」と言っているとの話が、清水寺ルートで畑中教授に伝わった。この話を受けて、畑中教授が学内外の人と相談を重ね、「まさか返してくれとはおっしゃるまい」など心配もしながら、元侯爵嵯峨氏などにも相談し、嵯峨侯爵から「然るべき処遇をすれば良い」とのアドバイスを得て、総長の判断で、当時の溥傑氏肩書きに相応しい名誉学位としての「法学博士」号を贈ることとなった。』(立命館大学千葉校友会サイト「ちば校友の集い」[要文献特定詳細情報]にて、畑中和夫名誉教授談として紹介)
  13. ^ 1939年(昭和14年)3月16日、満州国補助金交付の通達が財団法人立命館に発せられた。補助金の内容は1939年度30万円、40年度20万円の二カ年継続合計50万円であった[67]

出典

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  145. ^ 「学校法人大阪初芝学園と学校法人立命館の提携協定書」の締結について[リンク切れ]






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