王育徳 王育徳の概要

王育徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 06:01 UTC 版)

王育徳
人物情報
生誕 (1924-01-30) 1924年1月30日
死没 (1985-09-09) 1985年9月9日(61歳没)
出身校 東京帝国大学
子供 王明理
学問
研究分野 言語学台湾語中国語
研究機関 明治大学
学位 文学博士東京大学
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王育徳
プロフィール
出生: 1924年1月30日
死去: (1985-09-09) 1985年9月9日(61歳没)
各種表記
繁体字 王育德
簡体字 王育德
拼音 Wáng Yùdé
閩南語白話字 Ông Io̍k-tek
和名表記: おう いくとく
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生涯

王育徳(左)と兄の王育霖(右)

王育徳は1924年(大正13年)、日本統治下の台湾台南市で生まれた[2]台北高校を卒業後、1943年10月に東京帝国大学文学部支那哲文科に入学したが、太平洋戦争激化のために翌年台湾に戻り[3]、そこで終戦をむかえた。

第二次世界大戦後は台湾の台南第一中学で教壇に立つかたわら、台湾語による演劇活動を行っていた。

戦前からの台湾人を弾圧した二・二八事件で兄の王育霖が殺されたことで、演劇で国民党批判を行っていた自身も危険であると考えた王育徳は1949年香港へ脱出した[2]。その後、台湾独立運動家の廖文毅のもとに匿われていた。およそ3週間後、同郷で当時香港に住んでいた邱永漢の手引きで香港から船に乗船し、1949年(昭和24年)7月、下関港から日本に密入国した[2]。東京へ向かう途中、神戸の姉の家を訪ね、「蔡仁徳」名義の変造または偽造された外国人登録証明書を手に入れた。1950年4月、本名の王育徳の名前で東京大学文学部中国文学科に復学(1年次再入学)した。

王は、妻子を台湾から呼び寄せるため、正式な在留資格を取得することを決意した。在留許可を得るために警視庁に出頭したところ、外国人登録令(昭和24年政令381号による改正前の13条あるいは改正後の16条)に基づき国外退去を命ぜられた(退去強制)。王は、退去強制に対する不服申立の訴訟を提起した[注 1]。訴訟は1審、2審ともに敗訴した。1953年(昭和28年)10月、控訴審敗訴の後、王は、香港から日本に戻っていた邱永漢と再会した。邱永漢は、王をモデルにした小説『密入国者の手記』を執筆し、上訴審係属中に雑誌『大衆文芸』の公募に投稿し、同誌昭和29年1月号(14巻1号)に掲載された[4]。この小説は、上訴審で原告側の証拠として提出された。そのため、1954年に法務大臣は出入国管理令50条に基づき在留を特別に許可し(在留特別許可)、王は、日本での在留資格を得た。1960年に東京大学博士課程を修了後、1967年に明治大学商学部専任講師の職につき、のちに助教授、1974年(昭和49年)に商学部教授となった[5]1969年に論文「閩音系研究」によって東京大学の博士の学位を得た[5]。研究・教務のかたわら、黄永純、傅金泉[6]黄昭堂、蔡炎坤、蔡季霖、廖春栄らと1960年に台湾青年社を結成し[7]、雑誌『台湾青年』を創刊した[8][2]1973年2月には政治色のない在日台湾同郷会の副会長になった[9]。また、1969年(昭和44年)から亡くなるまで、中国語学者の長谷川寛の依頼により東京外国語大学で台湾語講座の非常勤講師を長く務めた[1]。毎年4月の開講日には、「この授業はおそらく世界で唯一の正規の台湾語の講座であろう。諸君はその誇りをもってもらいたい。わたしは台湾語を教えるのが大変に楽しい」と語っていたという[1]

1985年(昭和60年)9月9日に心筋梗塞のため61歳で急死した[2]。雑誌『台湾青年』1985年10月号(第300号)は「王育徳博士追悼号」として発行された[10]。没後、その蔵書約3,000点は東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所に寄贈され、「王育徳文庫」となった[11]

妻は王雪梅[8][1]、次女の王明理(近藤明理)は台湾独立建国聯盟日本本部委員長(2011–2021年)[12]日本李登輝友の会理事などを務める[13]

王育徳記念館

2018年9月9日の命日に、出身地である台湾南部の台南市に王育徳記念館が完成し、開館式がおこなわれた。開館式に出席した93歳の妻は「この日を迎えられて夢のようです」と感慨を示した[2]

家族

  • 父: 王汝禎(雑貨店経営者)
    • 兄: 王育霖(日本・中華民国の検察官)
  • 妻: 王雪梅
  • 次女: 王明理
  • 孫: 近藤綾

注釈

  1. ^ 改正前の外国人登録令15条による不服申立の訴えあるいは行政事件訴訟特例法による取消し訴訟と考えられる。現行法における退去強制令書発付処分取消請求訴訟に相当する。

出典

  1. ^ a b c d 中嶋・今井・高橋 1999, 中嶋幹起「序」.
  2. ^ a b c d e f “台南に台湾独立運動家の記念館 亡命先の日本で生涯終える” (日本語). 産経新聞社. https://www.sankei.com/article/20180909-7ECJNFNHI5N3XNORQXFIXWXB3A/ 2023年7月29日閲覧。 
  3. ^ 王育徳|プロフィール”. HMV&BOOKS online. 株式会社ローソンエンタテインメント. 2023年7月29日閲覧。 ※「『「昭和」を生きた台湾青年 日本に亡命した台湾独立運動者の回想1924‐1949 草思社文庫』より」と注記あり。
  4. ^ 戸田敦也 (2002年9月20日). “Qさんライブラリー 第24回 処女作品、小説「密入国者の手記」の誕生です”. 邱永漢 公式ウェブサイト. 2015年4月17日閲覧。 ※“Qさん”は邱永漢を指す。
  5. ^ a b 平山久雄 2002, p. 111.
  6. ^ アジア動向年報重要日誌検索 : 台湾 1970年代(3515)”. アジア動向年報重要日誌検索. JETRO. 2023年7月29日閲覧。 “DIA-105-1972-09-10-1/台湾/1972年09月10日/1970年代/日本/日本で「台湾青年独立連盟」の中央委員に任じられていた傅金泉,台湾へ帰順。”
  7. ^ 特別展|二・二八事件と台湾独立運動啓蒙と行動:彼らの青春”. 二.二八国家紀念館 (2020年9月12日). 2014年4月26日閲覧。 “1960年の二・二八。王育徳(〔写真の〕左から3人目)と、左から順に黄永純、傅金泉、黄昭堂、蔡炎坤、蔡季霖、廖春栄、6名の留学生が「台湾青年社」を結成した。”
  8. ^ a b 王雪梅(王育徳夫人) (2002年7月18日). “『台湾青年』創刊の思い出”. 認識台湾. 現代文化基金會. 2017年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月29日閲覧。 ※初出は『台湾青年』第500号(停刊記念号)2002年年6月発行。
  9. ^ 歴史・沿革 : 台灣独立建国聯盟日本本部年表 1970~”. 台湾独立建国聯盟日本本部 (2022年4月). 2023年7月29日閲覧。
  10. ^ 台湾青年』(pdf) 300巻、(1985年10月号)、台湾独立建国聯盟、1985年10月http://tbc.chhongbi.org/wp-content/uploads/pdf/taioanchhenglian/300ki.pdf2023年7月29日閲覧  ※pdf配布元は聰美姐紀念基會ウェブサイトの「台灣青年」ページ
  11. ^ 中嶋幹起, 今井健二, 高橋まり代『王育徳文庫目録 : 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1999年3月http://repository.tufs.ac.jp/handle/10108/81991 
  12. ^ 歴史・沿革 : 台灣独立建国聯盟日本本部年表 2010~”. 台湾独立建国聯盟日本本部 (2022年4月). 2023年7月29日閲覧。
  13. ^ 【第12回台湾セミナー】 多田恵氏と王明理氏を講師に第12回台湾セミナー|講演会/イベント”. 日本李登輝友の会 (2015年3月2日). 2017年10月14日閲覧。 “王明理(おう・めいり) 昭和29(1954)年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部英文科卒。台湾独立運動の先駆者で台湾語研究者だった王育徳・明治大学教授次女。2011年に台湾独立建国聯盟日本本部委員長に就任し、2013年に再任。著書に詩集『ひきだしが一杯』。訳書にジョン・J・タシク編『本当に「中国は一つ」なのか』。編集担当書に『王育徳全集』『「昭和」を生きた台湾青年』。王育徳著『王育徳の台湾語講座』解説担当。本会〔日本李登輝友の会〕理事。”
  14. ^ 王育徳全集”. 前衛出版社. 2007年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月17日閲覧。


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