染色体説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/26 23:09 UTC 版)
染色体説以後の研究
サットンが提唱した染色体説は、モーガンの貢献により、実証された[40]。しかし一方で、遺伝子の実体は不明のままだった[40]。モーガンは、ノーベル賞受賞講演において遺伝子の物理的実体にはあまり関心が払われていないことを指摘している[67]。
遺伝子の物理的実体が明らかにされるまでには、染色体説の実証からさらに数十年の時が必要であった[71]。この間、生化学[72]や構造生物学[73]の発展に加え、細菌遺伝学[74]やファージ遺伝学[75]の発展により、染色体を構成するタンパク質と DNA のうち、DNAこそが遺伝情報の担体であることが明らかになった[76][77][78]。
年表
染色体説以前
- 1838-39年: シュライデン(Matthias Jakob Schleiden)とシュワン(Theodor Schwann)による細胞説の提唱[79][80]。
- 1842年: ネーゲリ(Carl Nageli)が染色体を発見[13]。
- 1865年: メンデル(Gregor Mendel)によるメンデルの法則の発表[7]。
- 1882年: フレミング (Walther Flemming)が有糸分裂の詳細を記載[81]。
- 1890年: ヘンキング (Hermann Henking)が カメムシの精巣細胞で奇妙な挙動示す染色体(現在のX染色体)を発見[82]。
- 1892年: ヴァイスマン(August Weismann)が生殖質説を提唱[12]。
染色体説の提唱と実証
- 1898年: サットン(Walter Sutton)が修士課程の学生としてマクラング(Clarence McClung;カンザス大学)の研究室へ[83]。
- 1900年: サットンがウイルソン(E. B. Wilson;コロンビア大学)の研究室へ[83]。
- 1900年: ド・フリース(Hugo de Vries)、チェルマク(Erich von Tschermak)、コレンス(Carl Correns)によるメンデルの法則の再発見[84]。
- 1901年: マクラングが性染色体を報告[16][82]。
- 1902年: サットンがバッタの減数分裂における染色体の挙動を報告、遺伝の染色体説を提唱[15]。
- 1903年: サットンはさらにこの説を明確に主張する論文を発表[38]。
- 1904年: モーガン(Thomas Hunt Morgan)がコロンビア大学へ[38]。
- 1905年: スティーヴンス(Nettie Stevens)が甲虫コクヌストモドキで性染色体を報告[47]。ウィルソンもハエやバッタで確認[47]。
- 1906年: ベイトソン(William Bateson)によって遺伝学 Genetics という言葉が作られる[38]。
- 1908年: スティーヴンズがショウジョウバエでX染色体を確認[47]。
- 1909年: ヨハンセン(Wilhelm Johannsen)によって遺伝子(独: Gen, 英: Gene)という言葉が作られる[40]。
- 1910年: モーガンの研究室でショウジョウバエの最初の突然変異体 white が発見される[85]。
- 1910-20年代: モーガンらによるショウジョウバエ遺伝学を駆使した実証[86]。
- 1914年: ボヴェリ(Theodor Boveri)が「癌の染色体説」[87]を提唱[32]。
- 1933年: ペインター(Theophilus Painter)が双翅目昆虫唾液腺の多糸染色体を詳細に解析[68]。
- 1933年: モーガンがノーベル生理学・医学賞を受賞[66]。
染色体説以後
- 1944年: アベリー(Oswald Avery)らによる肺炎双球菌の形質転換実験(DNAが遺伝情報を担うことの実証)[88]。
- 1952年: ハーシー(Alfred Hershey)らによるブレンダー実験(ハーシーとチェイスの実験)[89]。
- 1953年: ワトソン(James Watson)、クリック(Francis Crick)によるDNA二重らせんモデルの提唱[90]。
脚注
注釈
- ^ 実際には組換えが起こる[27][26]。
- ^ モーガンらの実際の実験では、赤眼型のメスが2459匹、赤眼型のオスが1011匹、白眼型のオスが782匹と、想定される割合とは異なっている[48]。モーガンはこの結果を、幼虫あるいはサナギの時期の死亡率の違いによるものであるとしており、メンデルの分離の法則を実証するものであるとした[48]。
- ^ いずれも、後に遺伝学の研究者となる[49][50]。
- ^ 染色体説に関しては、減数分裂における不分離が取り上げられることが多いが、不分離自体は体細胞分裂でも減数分裂でも起こる現象である[61]。
- ^ 体細胞分裂においては相同染色体が分離することはないため、染色分体の不分離のみが起こり得る[61]。
出典
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