板柳町立板柳小学校 概要

板柳町立板柳小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/02 15:00 UTC 版)

概要

  • 板柳町灰沼地区に置かれ、板柳町の旧町域を学区としていた。主な進学先は、板柳中学校

沿革

  • 1873年明治6年)7月1日 - 第七大学区第一四中学区七番小学として開校。
  • 1874年(明治7年) - 板柳小学に改称。
  • 1882年(明治15年)2月 - 板柳字土井233番に校舎新築。
  • 1896年(明治19年)
    • 4月 - 板柳尋常小学校に改称。
    • 時期不明 - 2階建校舎増築。
  • 1897年(明治20年) - 赤田小学校を併合[1]
  • 1899年(明治32年) - 2階建校舎新築落成。
  • 1914年大正3年)4月 - 自強尋常小学校を併合。
  • 1916年(大正5年)7月 - 校旗制定。
  • 1927年昭和2年)11月25日 - 灰沼字岩井61番地に新校舎落成。
  • 1928年(昭和3年) - 小幡分教場を設置。
  • 1930年(昭和5年)9月 - 校章制定。
  • 1933年(昭和8年) - 帽章制定。 
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、板柳国民学校に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 新学制施行により、板柳町立板柳小学校に改称。小幡分教場は板柳第二小学校として、高等科は板柳中学校として、それぞれ独立。
  • 1953年(昭和28年) - 特殊学級設置。
  • 1956年(昭和31年)4月 - 附属幼稚園設置。
  • 1958年(昭和33年)11月1日 - 鶴田町立胡桃舘小学校野中分校を本校に併合し、板柳小学校の分校として設置。これは、石野・野中地区が鶴田町から板柳町へ編入されたことによる[2]
  • 1965年(昭和40年)7月 - プール竣工。
  • 1970年(昭和45年)3月31日 - 野中分校閉校。
  • 1973年(昭和48年)7月1日 - 創立百周年記念式典挙行。
  • 1984年(昭和59年)3月31日 - 校舎老朽化と学校再編のため、閉校。

学区

  • 板柳町中西部と北西部。

  1. ^ 『百二十周年記念誌』(胡桃舘小学校・1998年11月22日発行)「胡桃舘小学校百二十年間のあゆみ」より。
  2. ^ 編入に関する出典は、『鶴田町誌』842ページから。


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