松本市立大野川小学校・中学校 生徒数・職員数

松本市立大野川小学校・中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 08:16 UTC 版)

生徒数・職員数

  • 2015年3月 中学校生徒=11人、中学校職員=9人[1]

中学学級数

  • 2014年度=1・2学年1クラス、3学年1クラス[1]

今後を考える会

2013年7月、小学校・中学校PTA役員、町会長、同窓会長ら11人により、「大野川小中学校の今後を考える会」が組織された[2]校区内では少子化が著しく、児童生徒数の減少により統廃合の対象になることを懸念し、学校維持に向けた取組みを進めるために結成されたもの[2]

1993年のピーク時に156人いた児童・生徒は、2013年には31人(小学校17人・中学校14人)に減少しており、複式学級がほとんどである[2]2014年度には、児童・生徒数はさらに25人に減る見通しになっている[2]。一方、大野川小中学校は、音楽会や運動会などの学校行事に住民が参加したり、地域で収集した有価資源ごみの収入を学校運営に寄付したり[2]しており、学校は地域共同体の核になっている。このことから、統廃合により学校がなくなれば、地域社会が崩壊するとの懸念の声がある[2]

松本市では、2013年4月に、四賀地区で4つの小学校が統廃合され四賀小学校が開校している。このことが「小中学校の存在は地域活性化に不可欠だ」との意識に危機感を産んだ[2]。松本市には学校統廃合の規定はなく、2013年の時点で、教育委員会は大野川小学校・中学校の他との統廃合について「まったく考えていない」としている[2]。安曇地区には、他に安曇小中学校がある。両校間は、自動車で40分弱である。

年表

  • 1892年明治25年) - 安曇・の3か村立高等小学校を梓村杏に建設
  • 1910年(明治43年) - 安曇・梓・倭3か村立高等小学校、生徒数減少のため廃止
  • 1948年昭和23年) - 大野川小学校沢渡分校を新築
  • 1955年(昭和30年) - 大野川中学校校舎を宮ノ原に移転・新築
  • 1956年(昭和31年) - 大野川小学校校舎を宮ノ原に移転・新築
  • 1964年(昭和39年) - 大野川小学校沢渡分校、火災で焼失
  • 1965年(昭和40年) - 大野川小学校沢渡分校再建
  • 1977年(昭和52年) - 小中学校に隣接の番所の国有地(松本営林署番所貯木場跡地)を購入し、村民の運動用地として整備
  • 1985年(昭和60年) - 大野川小・中学校に体育館竣工
  • 1985年(昭和60年) - 番所運動場に夜間照明施設を設置
  • 1993年平成5年) - 大野川中学校改築工事竣工
  • 1994年(平成6年) - 大野川小学校改築工事竣工
  • 1995年(平成7年) - 大野川小中学校屋外教育環境整備事業竣工(野外ステージほか)
  • 1996年(平成8年) - 大野川小中学校屋内プール竣工[3]
  • 2013年(平成25年)7月 - 大野川小中学校の今後を考える会が発足[2]

  1. ^ a b c d 市民タイムス2015年3月19日14~15面による
  2. ^ a b c d e f g h i 信濃毎日新聞』2013年11月20日、22面記事
  3. ^ 『安曇村誌 第3巻 歴史下』p.31-38


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