慶長丁銀 慶長銀の品位

慶長丁銀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 16:14 UTC 版)

慶長銀の品位

『旧貨幣表』によれば、規定品位は銀80%(一割二分引ケ)、銅20%である[37]

慶長銀の規定品位

江戸時代の貨幣の金および銀の含有率は、極秘事項とされ、民間での貨幣の分析は厳禁とされた。しかし両替商にとって、この金銀含有量は大変重要な情報であり、密かに分析が行われ商人の知るところとなっていた。銀品位の分析では試金石は役に立たないが、銀座の銀見役、両替商など熟練者は純銀の特徴や状態をあらかじめ充分に記憶しておき、表面の色、割れ目などに見られる共晶組織から品位を判断したという[38]。 銀品位の表示は銀座における銀地金と慶長丁銀との引替え比率で表示された。 たとえば当時の製錬技術で最高の上銀(純銀)とされた地金すなわち灰吹銀は、一割り増しの慶長丁銀で銀座に買い取られ、「一割入レ」と呼ばれた。これを基準に慶長丁銀と同品位、すなわち80%の灰吹銀は1.1×0.80=0.88となり、0.88倍の量目の慶長丁銀で買い取られた。これを「一割二分引ケ」の地金と呼ぶ。この12%分が銀座の貨幣鋳造手数料にあたる[39][40][41]

明治時代造幣局により江戸時代の貨幣の分析が行われた。古賀による慶長銀の分析値は以下の通りである[42]

  • :0.20%
  • :79.19%
  • 雑:20.61%

雑分はほとんどがであるが、少量のなどを含む。

慶長銀の鋳造量

慶長期の貨幣(小判および丁銀)は「手前吹き」と称して、金銀細工師が自己責任で地金を入手し、貨幣の形に加工した上で、金座および銀座に納め、極印が打たれ発行される形式であり、さらに明暦の大火による『銀座書留』など記録史料焼失のため慶長金銀の正確な鋳造量の記録は無い。

しかし、後に新井白石らの推定による貿易決済としての海外流出高と、元禄金銀への吹替え高などから推定した数値によれば、丁銀および豆板銀の合計で120万貫(約4,480トン)である[37][43][44]

『月堂見聞集』では鋳造量を35万貫余(約1,300トン)としているが、慶長銀の海外流出高から考えて疑問とされる[45]

明暦の大火以降、万治2年(1659年)、江戸城三の丸の地で御金蔵の焼損金銀を用いて103,484貫753匁余(約386トン)の丁銀が鋳造された[7]

天領の銀山から上納された公儀灰吹銀を預り、丁銀を吹きたてた場合の銀座の諸経費および収入である分一銀(ぶいちぎん)は鋳造高の3%とされ、残りは幕府に上納した[46]

脚注

参考文献

  • 青山礼志『新訂 貨幣手帳・日本コインの歴史と収集ガイド』ボナンザ、1982年。
  • 郡司勇夫・渡部敦『図説 日本の古銭』日本文芸社、1972年。
  • 久光重平『日本貨幣物語』毎日新聞社、1976年、初版。ASIN B000J9VAPQ
  • 石原幸一郎『日本貨幣収集事典』原点社、2003年。
  • 小葉田淳『日本の貨幣』至文堂、1958年。
  • 小葉田淳『日本鉱山史の研究』岩波書店、1968年。
  • 草間直方『三貨図彙』、1815年。
  • 三上隆三『江戸の貨幣物語』東洋経済新報社、1996年。ISBN 978-4-492-37082-7
  • 滝沢武雄『日本の貨幣の歴史』吉川弘文館、1996年。ISBN 978-4-642-06652-5
  • 瀧澤武雄,西脇康『日本史小百科「貨幣」』東京堂出版、1999年。ISBN 978-4-490-20353-0
  • 田谷博吉『近世銀座の研究』吉川弘文館、1963年。ISBN 978-4-6420-3029-8
  • 『日本の貨幣-収集の手引き-』日本貨幣商協同組合、日本貨幣商協同組合、1998年。
  • 『日本通貨變遷圖鑑』財団法人 大蔵財務協会、中国日日新聞社、1974年。

注釈

  1. ^ 正保5年(1648年)より宝永5年(1708年)までは374,209貫、慶長6年(1601年)から正保4年(1647年)までは詳細な史料に欠くが、新井白石は748,478貫と推定している(『本朝寳貨通用事略』 1708年)。

出典

  1. ^ 青山(1982), p116-118, p120.
  2. ^ a b 郡司(1972), p61-62.
  3. ^ a b 瀧澤・西脇(1999), p265-267.
  4. ^ a b 貨幣商組合(1998), p53-57.
  5. ^ 滝沢(1996), p174.
  6. ^ 田谷(1963), p41-43, p166.
  7. ^ a b 田谷(1963), p151.
  8. ^ 田谷(1963), p31-32.
  9. ^ 小葉田(1958), p122.
  10. ^ 三上(1996), p83.
  11. ^ 田谷(1963), p1-5.
  12. ^ 田谷(1963), p85-87.
  13. ^ 青山(1982), p86-87.
  14. ^ 『図録 日本の貨幣・全11巻』 東洋経済新報社、1972-1976年
  15. ^ 田谷(1963), p83-85.
  16. ^ 滝沢(1996), p171-172.
  17. ^ 小森善治、ひびき:知命泉譜 写真集:江戸幕末までの日本の金銀貨選集、1990年
  18. ^ 西川裕一、江戸期秤量銀貨の使用状況 -重量ならびに小極印からみた若干の考察- (PDF) 、金融研究、日本銀行金融研究所
  19. ^ 三上(1996), p85.
  20. ^ 瀧澤・西脇(1999), p113-114.
  21. ^ 田谷(1963), p124-143.
  22. ^ 三上(1996), p125-127.
  23. ^ 久光(1976), p90-92.
  24. ^ 三上(1996), p181-182.
  25. ^ 草間(1815), p786.
  26. ^ 滝沢(1996), p176-177, p206-207.
  27. ^ 小葉田(1968), p3-6.
  28. ^ 田谷(1963), p65-77.
  29. ^ a b 小葉田(1958), p133-137.
  30. ^ 滝沢(1996), p194-195.
  31. ^ 田谷(1963), p176-182.
  32. ^ 田谷(1963), p289.
  33. ^ 大蔵財務協会(1979), p7.
  34. ^ 三上(1996), p86-87.
  35. ^ 貨幣商組合(1998), p55-56.
  36. ^ 銀座コイン、第12回銀座コインオークションカタログ 出品番号323、2000年
  37. ^ a b 銀座 『銀位并銀吹方手続書』 1790年
  38. ^ 三上(1996), p87-88.
  39. ^ 瀧澤・西脇(1999), p108-109.
  40. ^ 田谷(1963), p106-110.
  41. ^ 小葉田(1958), p150-155.
  42. ^ 甲賀宜政 『古金銀調査明細録』 1930年
  43. ^ 佐藤治左衛門 『貨幣秘録』 1843年
  44. ^ 勝海舟 『吹塵録』 1887年
  45. ^ 小葉田(1958), p164-165.
  46. ^ 田谷(1963), p38-48.


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