学園前 (奈良市) 交通

学園前 (奈良市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/21 02:28 UTC 版)

交通

道路

主要地方道

鉄道

学園前駅が地域の中心である。地域内にJR西日本の路線はなく、鉄道輸送は専ら学園前の開発を始めた近鉄が担っている。

近畿日本鉄道

バス

バス輸送もやはり専ら近鉄グループ奈良交通が担っている。鉄道駅を起点に住宅地へ向かう路線が多数設定されている。

奈良交通

施設

公共機関

文化施設

大和文華館

教育機関

帝塚山大学

大学

高等学校

中学校

小学校

ショッピングセンター

駅前ショッピングセンター

パラディ

2020年現在、学園前駅前には近商ストアと専門店街で構成されたショッピングセンター、「パラディ学園前」がある。

パラディの前身は学園前初の大規模小売店舗「学園前ショッピングセンター」である。学園前ショッピングセンターは学園前駅北側へ1960年に設置された学園前第一ショッピングセンター、第一ショッピングセンターに隣接して1963年に設置された学園前第二ショッピングセンターから構成されていた。1960年代当時の学園前第一ショッピングセンターは全国でも珍しい円形の建物であり、同じく円形の帝塚山学園の校舎とともに長らく学園前のランドマークとなっていた。開店初期は、学園前第一ショッピングセンターに近商ストア、近鉄パーラーが入居し、第一・第二ショッピングセンター両方に名店街が入居していた。

学園前第一ショッピングセンターに入居した近商ストアは近商ストアにおける第一号スーパーマーケットであり、日本で初めて生鮮食料品セルフサービスを導入したスーパーとして、業界や買い物客からの注目を集めた。

1970年代には近商ストアが第二ショッピングセンターに移転し、近鉄パーラーが北京料理百楽[39]に業態変更されるなどの改装が行われている。

1984年、学園前ショッピングセンターの北側にショッピングセンター新館(現、パラディI)がオープンした。学園前第一・第二ショッピングセンターはショッピングセンター新館オープン直後に、学園前駅北口拡充工事のため取り壊された。跡地には奈良交通バスセンターとタクシーのりばなどへ通じる道路、そして1991年にパラディIIが開店した。2012年、パラディIとIIは大規模改装の上、「パラディ学園前」として統合、それぞれの建物に北館と南館の名称が付けられ、現在に至る。

新規出店と住環境

1970年代後半、大手スーパは学園前周辺への出店を目論むようになっていた。1982年の新聞記事には「みどり台ショッピングセンター」「中山町パークサイドセンター」「ショッピングバザール富雄」の出店が計画されていると記述されている。これら出店計画に対して交通渋滞による住環境の破壊や地元無視の一方的な出店に対して出店反対運動が起こり、「みどり台ショッピングセンター」は訴訟沙汰に、「中山町パークサイドセンター」は商工会議所の指導により売り場面積を計画の48%に縮小することになった。

結局、「みどり台ショッピングセンター」はイズミヤ学園前店とともに1983年開店、「ショッピングバザール富雄」はユニード富雄店とともに同じく1983年開店、「中山町パークサイドセンター」はサティ学園前(後に学園前サティに名称変更)として1984年に開店している。学園前サティは当時のニチイが「サティ」ブランドで初めて出店した店舗であったが、その後のマイカル(2003年に再建するもその8年後にイオンリテールに吸収合併され消滅)の経営破綻の際、不採算店舗に指定され、2001年に閉店した。ユニード富雄店も「ダイエー」(マイカル同様に再建の過程でイオングループに加入した)、「イオン」と屋号が変遷したのち2019年に閉店している。

大型小売店一覧

旧跡

宿泊施設

2020年現在、学園前駅周辺ビジネスホテルが存在しない。

歴史

前史

古代、大和国北西部は登美郷と呼ばれた。法隆寺のある斑鳩や平城京から比較的近いため、登美郷には要人の関わったとされる伝説が残っている。

聖徳太子が亡くなった際、三杖大夫は以下のような和歌を残したと伝わる。この「富の小川」は現在の富雄川を指すと考えられている[40][41]

鵤の富の小川の絶えばこそわが大君の御名忘られめ
(いかるがの とみのおがわの たえばこそ わがおおきみの みなわすられめ)

押熊町の北方、京都府相楽郡精華町乾谷には平城京造営の際に使用されたと推定される瓦窯跡が見つかっている。また、奈良市と精華町との境にある「石のカラト古墳」からは8世紀ごろの金銀の埋葬品が発掘されている。

聖武天皇は富雄川のある土地を訪れた際、水碓(みずからうす、水車のこと)を用いて農民が精米しているのを見かけ、この土地に「三碓の里」と名づけたという伝説が残っており、現在の奈良市三碓町の地名の由来とされる。三碓三丁目にある添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)は(添上郡・添下郡の)「添」の地を守る神社として建立されたとされ、1383年永徳3年)建立の本殿(重要文化財)が残っている[40][41][42][43]

学園前誕生前夜

1914年大阪電気軌道奈良線(現在の近鉄奈良線)、上本町六丁目-奈良高天町間が開通し、学園前に相当する地域を電車が横断するようになった。開通当時、奈良市西部には富雄駅西大寺駅が設置されたのみで、現在の学園前駅菖蒲池駅は設置されず、この地域は松林の続く、人家のまばらな丘陵地帯のままであった[44][45]

富雄駅前で券売を委託されたよろず売店にて電車開通の年に誕生した、奈良市立二名小学校[46]の初代校長は当時の富雄や学園前の様子を回想している。学園前駅はまだ設置されておらず、現在の学園前駅の南西には杣木谷(現在の学園前駅南西の池)という小さな村があるのみであった。また、富雄川はホタルが生息できるほど清らかで、富雄や学園前の付近はマツタケ狩りで有名であった。タヌキキツネが生息し、特にタヌキは近鉄奈良線の富雄川橋梁の付近にまで顔を見せるほどだったという。また、富雄駅は駅長と改札員の2人だけが配置されたのんびりとした雰囲気の駅で、駅員は電車が着くたびに対向式ホームを往復していた。たまに米俵を積むための貨車が引込み線に停車していたという[20]

未開発であったこの地域に目をつけた大阪電気軌道は、臨時扱いで菖蒲池駅を開業し、菖蒲池温泉と呼ばれるレジャー施設を建設した。菖蒲上池、菖蒲下池を利用した遊園地、旅館が併設され、大阪から遊戯客が訪れるようになった。

本格的な「街」の建設の端緒になったのは、1941年に大阪電気軌道の誘致により開学した帝塚山中学校である。翌1942年に帝塚山中学校への通学に便宜を図るために学園前駅が設置された[44]。自ら開発前の学園前駅の最寄に住み、学園前駅を初めて管轄した生駒駅長[47]が設置当時の学園前駅とその周辺の様子について回想している。開業当時の学園前駅は2面2線で1線の引込み線が存在した。

帝塚山中学校の開学は「街」の建設のきっかけにはなったものの、開学以降しばらくは開発へ向けての具体的な動きは見られなかった。動きが現れるのは戦後に入ってからである。


  1. ^ 町村名は昭和の大合併前の自治体名を記した。
  2. ^ a b 住井編『学園前のあゆみ』34頁
  3. ^ 奈良県『奈良県宅地供給計画 学園前地区 策定報告書』
  4. ^ a b 奈良市 Webページ 『古今奈良の都市計画今昔物語 - 学園前の住宅開発経緯』
  5. ^ 朝日新聞社編『奈良新風土記 学園前』
  6. ^ 西田大智、実森出『ふるさとはニュータウン』
  7. ^ リクルート『住宅情報style. 関西版』
  8. ^ 朝日新聞社編「8. もっと奥も」『奈良新風土記 学園前』朝日新聞 奈良1P版 1982年9月9日 閲覧
  9. ^ 森田勝によると、1970年当時、百楽園の西部では富雄駅を最寄としていたという。1986年に学園前駅から百楽園へ向かうバスが大幅に増発されたため、2008年現在とは事情が異なる。
  10. ^ 参考文献に掲載されている図では二名町(真弓)と記載されている。
  11. ^ 北大和住宅地 財団住宅祭”. 2023年10月17日閲覧。
  12. ^ 北大和分譲住宅の購入・売却ならノムコム”. www.nomu.com. 2023年10月17日閲覧。
  13. ^ - 3) けいはんな線沿線の開発状況 ②学研北生駒駅周辺,④バス路線の再編”. 内閣府. 2023年11月17日閲覧。
  14. ^ a b 学園前・生駒エリア|転勤者の方へ”. 奈良の賃貸 SANKO. 2021年2月16日閲覧。
  15. ^ a b 運行系統図 - 奈良バスなびweb”. 奈良交通. 2021年6月25日閲覧。
  16. ^ a b 近鉄奈良線「生駒駅~学園前駅エリア」(あの街プロフィール)”. 住友不動産販売. 2021年2月16日閲覧。
  17. ^ 奈良市『奈良市統計書』
  18. ^ 奈良市『統計なら』
  19. ^ a b 参考文献には8kmとあるが明らかに誤植である。国土地理院の5万分の1の地形図で、丘陵の北端である京田辺市松井山手駅から大和郡山市郡山城までの直線距離を実測したところ20kmであった。よって8kmではなく18kmの誤植であると考えられる。(執筆者註: 18kmを証明する参考文献を求む。)
  20. ^ a b c d e f g 参考文献『学園前のあゆみ』による。
  21. ^ 松川 『平城京跡の村 秋篠川流域』 132頁
  22. ^ 住井編『学園前のあゆみ』10頁
  23. ^ a b 奈良県史編集委員会編『奈良県史』236-237, 253頁
  24. ^ 登美ケ丘高等学校『創立十周年記念誌』
  25. ^ 登美ケ丘北中学校Webページを参考
  26. ^ a b 『ニュータウン 奈良学園前』より
  27. ^ 参考文献『産経新聞』より
  28. ^ 豊中市より
  29. ^ 近畿日本鉄道編『50年のあゆみ』
  30. ^ 奈良市『奈良市都市計画』
  31. ^ 近畿日本鉄道編『最近20年のあゆみ』
  32. ^ 高橋『ニュータウン - 奈良学園前 -』
  33. ^ 住井編『「学園前産土の森」あゆみ 続編』
  34. ^ 関西電力、2002年、1098頁
  35. ^ 産経新聞、2005年
  36. ^ 関西地方電気事業百年史編纂委員会、1987年、116頁、486頁
  37. ^ 関西電力、2002年、128頁
  38. ^ 学園南中自治会,
  39. ^ 近鉄系列の中華料理店。学園前店は閉店したが、2008年現在でも奈良県大阪府東京都などに店舗を持つ。
  40. ^ a b 『角川地名大事典 奈良県』より
  41. ^ a b 『富雄町史』より
  42. ^ 添御県坐神社 公式サイト
  43. ^ 添御縣坐神社 地域情報ネットワーク株式会社おすすめエリア
  44. ^ a b 参考文献『最近20年のあゆみ: 創業70周年記念』による。
  45. ^ 参考文献「ふるさとはニュータウン 大和の20世紀(連載全10回)」による。
  46. ^ 1973年に開校した2代目の二名小学校。奈良市立富雄北小学校の前身とは異なる。
  47. ^ 近鉄では2008年現在においても全ての駅に駅長を置かず、駅長配置駅の駅長が複数の駅を管轄する方式が採られている。
  48. ^ a b c d e f g h 町の区域及び名称の変更について”. 奈良市例規集(奈良県) (1990年10月19日). 2023年9月13日閲覧。
  49. ^ a b c d e f g h i j 町の区域及び名称の変更について”. 奈良市例規集(奈良県) (1992年10月30日). 2023年9月13日閲覧。





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