妹尾兼忠
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関連項目
参考文献
- 吉成恭二「大力妹尾兼忠」『秋田の伝説』198-202頁、秋田県国語教育研究会編、日本標準、1976年、全国書誌番号:76000817
- 横手市、横手市教育委員会、横手市郷土史研究会『横手郷土史資料 第44号』、1970年5月
- 横手町史編纂会『続横手郷土史』東洋書院、1933年10月
- 伊沢慶治『横手の歴史』東洋書院、1979年10月
- ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、富原芳彰『日本奇談』研究社出版、1978年、ISBN 4327098051
- ^ 佐竹氏家臣。兼貞とも。佐竹氏の久保田転封により須田美濃守(須田盛秀)とともに常陸国より従って来た茂木百騎の一人。秋田領横手城下の本町に居を構えたと伝わる。
- ^ 横手城下町の内町(武家町)と大町、四日町などの外町(町人町)とを分ける横手川にかかる橋。送り盆祭りでも有名。菅江真澄『雪の出羽路』に「蛇の崎」の名の由来が掲載されている。それによれば、大蛇と河童がこの渕で争い、なかなか勝負が着かなかったが、河童が別の渕に移ってヨロヨロとなった大蛇が渕の主になったという説話である。
- ^ 妹尾五郎兵衛兼忠が大力を授かった話は、広く知られ、幕末から明治にかけて著名であった講談師桃川如燕は、これを粉飾して寄席の高座で「溝口半之丞」(「幽霊半之丞」とも)の題名で口演した。小泉八雲は『日本奇談』のなかで「梅津忠兵衛」として、この話を掲載しており、柳田國男も『日本の昔話』に「妹尾五郎兵衛」の伝承を記録している。
- ^ 雄物川支流で横手の市街地の中央を流れる。別名、旭川。
- ^ この話は『長野先生夜話』に伝わる。
- ^ 戦国大名小野寺氏により築城された山城。佐竹氏はここに歴代城代(はじめは須田氏、のち戸村氏)を置いた。失脚した本多正純預かりの城ともなった。
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