国立銀行条例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 08:42 UTC 版)
条例の制定
1870年に、当時の大蔵少輔(おおくらしょうゆう。次官)であった伊藤博文がアメリカ合衆国の首都ワシントンで銀行制度を視察し、その成果を反映した。戊辰戦争等で発行された政府紙幣を日本国債と交換させ、民間銀行にその国債を担保として兌換券を発行させた。それまでの兌換制度を止めて、国立銀行が発行する銀行券(兌換紙幣としての国立銀行紙幣)には金貨などの兌換硬貨との交換を義務付けた。
それまで日本は兌換貨幣(金との交換が保証された通貨)を使用していたが、まだ経済基盤が弱かった日本からは金貨の海外流出などで金準備不足が深刻化しており、兌換制度を止める必要があった。1871年(明治4年)に新貨条例が制定され、「円」を貨幣とする最初の近代貨幣制度が導入された。しかし同時に採用された金本位制は金準備不足のために実際には銀貨が主に使われ、1876年(明治9年)に事実上、1878年(明治11年)に正式に、金銀複本位制が確立し、1885年(明治18年)に銀本位制に移行し、日清戦争後の1897年(明治30年)にようやく金本位制に復帰した。
その後、イギリス型の中央銀行制度を推す当時の大蔵少輔吉田清成と、アメリカ型の分権方式銀行制度を推す伊藤博文が論争した。結局、アメリカにおいて1864年に財務長官サーモン・チェイス (Salmon Chase) によって制定された国法銀行法を参考に、1872年(明治5年)国立銀行条例が制定された。当時の世界の銀行制度の潮流として、イングランド銀行を代表とする中央銀行制度と、アメリカの国法銀行を代表とする反・中央銀行制度としての分権方式銀行制度があった。
国立銀行条例により、渋沢栄一が1873年(明治6年)に日本初の国立銀行である第一国立銀行(現:みずほ銀行)を設立。その後もこの条例を基に民間によって数多く(制限が掛かった1879年の時点で全153行)の国立銀行が設立された。
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