信楽高原鐵道信楽線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 18:32 UTC 版)
信楽線 | |
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紫香楽宮跡駅に進入するSKR500形気動車 | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 滋賀県 |
起点 | 貴生川駅 |
終点 | 信楽駅 |
駅数 | 6駅 |
開業 | 1933年5月8日 |
三セク転換 | 1987年7月13日 |
所有者 | 甲賀市(第3種鉄道事業者) |
運営者 | 信楽高原鐵道(第2種鉄道事業者) |
使用車両 | 信楽高原鐵道#車両を参照 |
路線諸元 | |
路線距離 | 14.7 km |
軌間 | 1,067 mm (狭軌) |
線路数 | 単線 |
電化方式 | 全線非電化 |
閉塞方式 | スタフ閉塞式 |
最高速度 | 65 km/h[1] |
停車場・施設・接続路線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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概要
信楽高原鐵道の唯一の路線であり、滋賀県内の鉄道路線で唯一の非電化路線でもある。旧国鉄の特定地方交通線を転換した路線で、信楽焼の産地である信楽に通じている。
信楽線のうち、全長の約半分を貴生川駅と紫香楽宮跡駅の間の勾配区間が占める。路線は、貴生川駅を出ると右にカーブして杣川橋梁で杣川をまたいだ[3]後、旧北杣村の田園地帯を通過し、県道草津伊賀線や国道307号を架道橋で越えてから上り坂に差し掛かる[3]。その後は山間部に入り、急カーブの連続と33 ‰の勾配[4]で小野谷信号場跡の先まで走り、新名神高速道路と国道307号との立体交差地点を過ぎると平地を走る。規格は簡易線規格であるのでこの区間は最小曲線半径200 m、最大勾配33 ‰、施工基面幅4 m 20で建設されており、庚申山の峠は高低差が170 mあるもののコスト削減を図るためにトンネルによらず曲線で建設されている[5]。雲井駅を過ぎると大戸川を2回交差して信楽駅に至る[5]。
勅旨駅 - 玉桂寺前駅間にある第一大戸川橋梁は、1953年8月の集中豪雨によって鋼製の橋梁が流失し、翌1954年にプレストレスト・コンクリート橋として再建された。これは従来スパン10メートル程度に留まっていたものをスパン30メートル程度にまで拡大したもので、これがきっかけとなって長いスパンの道路・鉄道橋へのコンクリート橋の応用が始まった。2008年現在でも問題なく列車を通し続けており、コンクリート橋の適用のきっかけとなった橋との評価から、2008年6月20日に文部科学省文化審議会により登録有形文化財として登録するよう答申がなされ[6]、同年7月8日に登録された[7]。
一部列車で次の停車駅の案内や駅到着の車内放送の前後に停車駅沿線の観光施設等の案内や信楽高原鐵道の歴史を放送している。
路線データ
- 管轄(事業種別):信楽高原鐵道(第二種鉄道事業者)、甲賀市(第三種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):14.7km[8]
- 軌間:1067mm[8]
- 駅数:6駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:スタフ閉塞式[8](特殊自動閉塞式であった時期もあったが、1991年の列車衝突事故以降、スタフ閉塞に戻している)
- 最高速度:65km/h[1]
- IC乗車カード対応区間:なし
運行形態
すべて線内折り返し列車でワンマン運転を行っている。平日・休日ともに1日15往復が運行されている[9]。日中は1時間あたり1本運行されている。1991年5月14日の列車衝突事故以来、他線との直通運転は行っていない。
2015年3月2日[10]現在、信楽駅の始発は6時14分、貴生川駅の最終は22時39分である。2006年3月17日までは最終列車が22時台であったが、翌18日のダイヤ改正で、23時台に繰り下げられた。2012年3月17日に、22時台に戻された。
国鉄時代
1962年(昭和37年)から第三セクター転換までは1日9往復であった[11]。1980年(昭和55年)までは貴生川から草津線へ直通する列車もあったが、草津線電化に伴い直通は廃止された[12]。
国鉄時代はそのほか、草津線柘植駅から(貴生川駅で信楽行きと、草津行きに分割)と、草津駅から(貴生川駅で信楽行きと柘植行きに分割)の直通運転も設定されていた[13]。
滋賀県内の路線だったが、関西本線の支線だった関係上、草津線とともに全線が天王寺鉄道管理局の管内であった。
- ^ a b 寺田裕一『日本のローカル私鉄 (2000)』 - ネコ・パブリッシング
- ^ a b c “姿消すあの日「青」だった信号機 信楽高原鉄道事故30年”. 産経ニュース (産経新聞社). (2021年5月17日) 2021年9月28日閲覧. "30年度には信号場廃止の運輸局の届け出が済んでいる。"
- ^ a b c d e 国鉄岐阜工事局 1970, p. 145.
- ^ 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳』新潮社、2008年、p.3
- ^ a b 国鉄岐阜工事局 1970, p. 146.
- ^ 交通新聞 2008年8月4日第3面
- ^ 信楽高原鐵道第一大戸川橋梁 - 国指定文化財等データベース(文化庁)、2019年11月25日閲覧。
- ^ a b c 渡辺健太郎・高嶋修一 2000, p. 58.
- ^ “時刻表・運賃”. 信楽高原鐵道. 2022年9月18日閲覧。
- ^ 交通新聞社 『JR時刻表』2015年4月号
- ^ 渡辺健太郎・高嶋修一 2000, p. 59.
- ^ a b c d e f g 渡辺健太郎・高嶋修一 2000, p. 56.
- ^ 『時刻表復刻版1978年10月号』JTBパブリッシング、2022年、p.138
- ^ 「鉄道省告示第164号」『官報』1933年5月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第255号」『官報』1943年9月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第285号」『官報』1943年9月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「運輸省告示第205号」『官報』1947年7月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c “会社情報”. 信楽高原鐵道. 2022年9月18日閲覧。
- ^ 日本交通公社『JTB時刻表』1991年5月号 付録23ページ
- ^ a b 渡辺健太郎・高嶋修一 2000, p. 57.
- ^ 地域公共交通の活性化及び再生に関する法律に基づく鉄道事業再構築実施計画の認定について〔信楽高原鐵道信楽線〕 (PDF) - 国土交通省、2013年3月1日。
- ^ “SKR線路、崩れ不通 17日、貴生川-信楽駅間で代替バス”. 京都新聞. 2013年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月17日閲覧。
- ^ “台風被害から1年2カ月ぶり、信楽高原鉄道が運行再開”. 産経WEST. (2014年1月29日). オリジナルの2014年11月30日時点におけるアーカイブ。 2014年11月30日閲覧。
- 1 信楽高原鐵道信楽線とは
- 2 信楽高原鐵道信楽線の概要
- 3 歴史
- 4 延伸計画
- 5 外部リンク
固有名詞の分類
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