五色塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 22:20 UTC 版)
埋葬施設
埋葬施設は調査が実施されておらず、明らかでない[5]。復元整備前の墳丘後円部において結晶片岩(徳島県東部産か[5])の出土が見られたことから、竪穴式石室(竪穴式石槨)が存在するものと推測されるが、詳らかでない[5]。
文献上では、『播磨鑑』が『明石記』から引用して本古墳について「石棺露」と記すことから、石棺(一説に長持形石棺)が使用されたと推測する説がある[5]。これについて近年の『発掘調査・復元整備報告書』では、この「石棺露」は実際には「竪穴式石槨の一部の露出」を指したものであって、時代的には割竹形木棺が埋納されている可能性が高いと推測する[5]。いずれにしても、調査時点で石棺の露出やそれに伴う撹乱は認められておらず、詳細は明らかでない[1]。
なお、『日本書紀』神功皇后紀の記事(後述)では遺骸を伴わない「偽陵」が赤石(= 明石)に築かれたとするが、考古学的には本古墳が古墳時代の人物の墓であることは確実とされる[1]。
出土品
五色塚古墳からの出土品としては、前述の円筒埴輪群が代表的なものとして知られる。埴輪は総数2,200本と推計されるうち600本が採集されている[5]。特に採集埴輪のうち鰭付円筒埴輪42点・鰭付朝顔形埴輪3点・円筒埴輪3点の計48点は全形が復元されており、国の重要文化財に指定されている[8][11]。
そのほか、墳丘では蓋形埴輪・盾形埴輪などの形象埴輪が、後円部北東の島状遺構(マウンド)では鰭付円筒埴輪棺および副葬品の土師器壺が、後円部墳頂では土師器が、西側くびれ部では子持ち勾玉が出土している[13]。形象埴輪の残欠や土器・土製品は、前述の国の重要文化財に附指定として指定されている[11]。
以上の出土品の多くは、神戸市埋蔵文化財センターで保管される。
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出土埴輪(神戸市指定文化財)
神戸市立博物館展示。 -
出土埴輪
五色塚古墳管理事務所展示。
小壺古墳
小壺古墳 | |
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墳丘全景 | |
所在地 | 兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目 |
位置 | 北緯34度37分49.00秒 東経135度2分41.49秒 / 北緯34.6302778度 東経135.0448583度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径70m 高さ8.5m |
築造時期 | 4世紀末-5世紀初頭 |
史跡 | 国の史跡「五色塚(千壺)古墳 小壺古墳」 |
有形文化財 | 出土品(神戸市指定文化財) |
小壺古墳(こつぼこふん)は、五色塚古墳の西にある古墳。形状は円墳。五色塚古墳と合わせて国の史跡に指定され、出土品は神戸市指定有形文化財に指定されている。
古墳名の「小壺」は、五色塚古墳の別称「千壺」との対比とされる[14]。墳丘は2段築成[3]。下段直径は70メートル、上段直径は43メートル、墳頂高さは約8.5メートルを測り、円墳としては茶すり山古墳(朝来市、直径86メートル)に次ぐ兵庫県第2位の規模になる[3]。ただし墳丘が周辺道路の下まで及ぶため、現在は元来の2段では復元されず、盛土をして1段に成形して保護されている[15]。墳丘外表では各段に埴輪列(推計約320本)が検出されているが、五色塚古墳と異なり葺石は葺かれていない[3]。また、墳丘周囲には周濠が巡らされており、周濠内では墳丘北側で通路状遺構(土橋)も認められている[4]。出土品としては、円筒埴輪・朝顔形埴輪のほか、形象埴輪(家形・靭形・蓋形埴輪など)がある[13]。この小壺古墳は、五色塚古墳と同時期の4世紀末-5世紀初頭頃の築造と推定されるが、五色塚古墳との築造年代の前後は明らかでない[6]。
なお文献によれば、かつて五色塚古墳の周囲には、小壺古墳のほかにも遊女塚・小塚(小壺古墳か)・四ッ塚・七ッ塚・東側陪塚と称される古墳が存在したとされる[1]。
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