久六島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 03:02 UTC 版)
地理
青森県深浦町
このうち最も大きな島は「上の島」で、東西40m、南北15m、高さ5m[13]。「上の島」の北東に「下の島」、「上の島」の南東250mに「ジブの島」がある[4]。「上の島」に1959年(昭和34年)10月20日に運用を開始した久六島灯台がある[3]。「久六島」は3つの岩礁の総称であるが、灯台のある「上の島」を「久六島」と呼称することもある[4][14]。「上の島」に一等三角点「上の島」が設置されている[15]ほか、「下の島」にも三等三角点「下の島」が置かれている。このほか、浅瀬には干潮時に露出する岩礁がある[16]。
「下の島」周辺には3つの岩礁があり、高さ約3mの岩礁が下の島である。その南東と北東に高さがその半分程度の岩礁がある。「下の島」とその南東の島はさしわたし10mほどで、北東の島は長さ15m、幅3mで南西~南東に細長い。「ジブの島」は「洗岩」とも言われ、高さが1mに満たない岩で、特に日本海中部地震以降は、波に見え隠れている[17]。
久六島は「3つの島からなる」と表現されることが少なくないが、「ジブの島」と「下の島」の南東の島との混同が見られる。「ジブの島」を「下の島と同大である」や「下の島よりやや大である」「ほぼ同じ大きさである」などの表現がみられる。漁業関係者がジブと呼んでいる島は、久六島の南東約300m離れた島である[17]。
久六島は南北に伸びる背斜(奥尻海嶺)上に形成された海底火山の頂部が海面に出たもので、その頂部は海食により平坦化されている。周辺の海底地形は、かつての山体崩壊によって形成されたとみられる幅約17 kmの西開きの馬蹄形カルデラが火山体を取り囲んでおり、島の西方約50kmにわたって高さ100-200 m, 幅1 km程度の流れ山が点在している。火山体には崩壊の跡が認められないことから、久六島は古い火山体が崩壊した後に活動した新しい火山によって形成されたとみられている[18][19]。
久六島の高度に言及した歴史的史料は多い。まとめると1894年には約5.7m、1934年には約5.4m、1964年~1982年には平均約5.3mであった。更に、1983年の日本海中部地震の際に約0.3~0.4m沈降した。このように島は日本海中部地震に先立つ90年の間に、島は少しずつ沈降していった。これに対し、島には高度約3mと1~1.5mのところに過去の海食棚と思われる平面台が発達していて、海水準の変化を考慮すると過去数1000年間を通じた島の合計の沈下量は小さいかあるいは、数1000年を通じれば島は隆起していると考えた方がよいかもしれない[17]。
注釈
- ^ 「艫」と「舮」は異体字であり、「へなし」の漢字表記には「艫作」「舮作」双方がある。国土地理院地図では集落を「舮作」、岬を「舮作崎」とするが[5]、事典類では「艫作崎」と記すものがあり[6]、鉄道駅は「艫作駅」が正式名称[7]であるなど、両者が混在している[8][9][10]。
- ^ 出典[21]には「青森県岩崎村の旧家六代目・大屋久六」とある。松神は岩崎村(2005年に深浦町と合併)の一部であった。
- ^ 『百科事典マイペディア』に一説として、天明6年(1786年)に船問屋によって発見された[22]とあるのはこれを指すか。
- ^ 行ったら戻れない意[23]
- ^ 12月25日に内閣改造が行われて交代した
- ^ 地方自治法7条でいう「所属未定地」は、「本来市町村の区域に属しておると認められるべき地域」すなわち「三海里の領海の区域内」に、新たに埋め立てを行ったり新島が出現した場合を想定しているという[29]。
- ^ 12月24日に各省次官会議で「久六島の帰属は両県に認めず、漁業については共同漁業権を認める」と決定し、翌25日の閣議で了承事項として承認した[26]。
- ^ 「法律で別に定めるものを除く外、従来地方公共団体の区域に属しなかつた地域を都道府県又は市町村の区域に編入する必要があると認めるときは、内閣がこれを定める。この場合において、利害関係があると認められる都道府県又は市町村があるときは、予めその意見を聴かなければならない」「2 前項の意見については、関係のある普通地方公共団体の議会の議決を経なければならない」「3 第一項の規定による処分があつたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。前条第七項の規定は、この場合にこれを準用する」[30]。
- ^ 久六島は20カイリ沖合にあり、両県の海岸からは領海外になってしまう[25]。
- ^ 「実は一つの現行法の欠陥と申せば、欠陥であるわけでございまして、最近に起りました問題といたしましては、青森県と秋田県の中間に位しておりまする久六島の問題であります」(鈴木俊一政府委員)[29]。
- ^ 「1 農林大臣は、久六島(北緯四十度三十一分、東経百三十九度三十分附近の海面にある島しよをいう。)周辺の農林大臣が指定する海域における漁業につき、漁業調整上特に必要があると認めるときは、当該海域内にある漁場を管轄する県知事の漁業法(昭和二十四年法律第二百六十七号)に基く権限の全部又は一部を行うことができる」「2 農林大臣は、前項の規定により県知事の権限を行う場合には、その旨を告示しなければならない。」の2項からなる[33]
出典
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- ^ a b c “久六島”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク所収). 2019年4月27日閲覧。
- ^ a b “久六島灯台”. 青森海上保安部. 2019年4月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “久六島”. 日本の島へ行こう. 2019年4月27日閲覧。
- ^ “地理院地図”. 2022年5月3日閲覧。
- ^ “艫作崎”. 日本大百科全書(ニッポニカ)ほか(コトバンク). 2022年5月3日閲覧。
- ^ “艫作”. JR東日本. 2022年5月3日閲覧。
- ^ “舮作簡易郵便局 (へなしかんいゆうびんきょく)”. 日本郵便. 2022年5月3日閲覧。
- ^ “艫作埼灯台”. 青森海上保安部. 2022年5月3日閲覧。
- ^ “新深浦町漁業協同組合 艫作支所”. 青森県漁業協同組合連合会. 2022年5月3日閲覧。
- ^ 『日本水路誌 第4巻』水路部、1897年、382-384頁。NDLJP:1084062/236。
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- ^ 横山弘. “久六島”. 世界大百科事典 第2版(コトバンク所収). 2019年4月27日閲覧。
- ^ a b 山科健一郎, 中村一明, 福留高明 ほか、「1983年日本海中部地震による久六島の沈下」 地震 第2輯 1985年 38巻 1号 p.81-91, doi:10.4294/zisin1948.38.1_81
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- ^ a b c d “生涯学習フォーラム 宝の島を知る”. 広報ふかうら 平成30年度 12月号. 2018年4月27日閲覧。
- ^ a b c d e f 「久六島の高度について」、山科健一郎、東京大学地震研究所彙報 59(4)、 p545-559、1984年
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- ^ “久六島”. 百科事典マイペディア(コトバンク所収). 2019年4月27日閲覧。
- ^ a b “日本の領海広げる久六島ルポ 地震で小さく”. 朝日新聞社 (2014年7月11日). 2019年4月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『新秋田叢書11巻』p.409他 石井忠行 伊頭園茶話29巻、30巻
- ^ a b c d e f 小林博志 2017b, p. (7).
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- ^ “男鹿半島 - 秋田県のダイビングポイント”. ダイビングプロショップ・シートピア. 2015年1月14日閲覧。
- ^ ニホンアシカ 生物多様性センター
- ^ 伊東徹魯、井上貴央、中村一恵、自由集会報告(日本哺乳類学会1995年度大会自由集会の報告),1995年度ニホンアシカ談話会 『哺乳類科学』 1996年 35巻 2号 p.176-179, doi:10.11238/mammalianscience.35.176
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