一遍 一遍の概要

一遍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 16:16 UTC 版)

一遍
延応元年2月15日 - 正応2年8月23日
1239年3月21日 - 1289年9月9日新暦〉)
藤沢市・清浄光寺の一遍像

藤沢市清浄光寺の一遍像
幼名 松寿丸
(俗名)通尚、通秀、時氏[要出典]
(房号)一遍
智真
諡号 円照大師(明治19年(1886年)8月。私諡号[要出典]
証誠大師(昭和15年(1940年)3月23日)
尊称 一遍上人、遊行上人、捨聖
生地 伊予国
没地 観音堂(現・真光寺
宗旨 時宗
聖達
弟子 聖戒, 他阿
著作 『一遍上人語録』
江戸時代に編纂された書物)
真光寺・一遍上人廟所
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一遍は、承久3年(1221年)の承久の乱により没落した伊予国(愛媛県松山市)の豪族の河野家の次男として延応元年(1239年)に生まれる。宝治2年(1248年)に10歳より仏門に入り、建長3年(1251年)からは太宰府の聖達上人の元で、浄土教を学んだ。弘長2年(1262年)に父の訃報を受けると、一度故郷に帰り、半僧半俗の生活を続けていたが、文永8年(1271年)に33歳で再出家し、文永11年(1274年)より全ての財産を捨て一族とも別れ 16年間の遊行の旅に出る。

熊野本宮大社に着いた時、夢の中に白髪の山伏の姿をした熊野権現阿弥陀如来)が現れ、「一切衆生往生は、阿弥陀仏によってすでに決定されているので、あなたは信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければなりません。」とのお告げを受けて歓喜し、この時から一遍と称し、念仏札の文字に「決定(けつじょう)往生/六十万人」と追加し、諸国遊行を続けた。

弘安2年(1279年)からは、長野県佐久市で一遍が尊敬してやまない平安時代の僧侶空也が始めた輪になって念仏をとなえながら踊る、踊り念仏を始めた。

一遍は、学問や理論ではなく、「念仏をとなえて極楽浄土へ往生する」という仏教的実践、つまり余計な考えは捨て、南無阿弥陀仏と声を出してとなえることを人々に勧めた。

一切衆生往生は、阿弥陀仏によってすでに決定されており、仏教を信じれば、極楽浄土へ行ける喜びが踊りや歓喜となって現れるだろう」という考え方で、日蓮宗が唱える「南無妙法蓮華経」でも「南無阿弥陀仏」と同じ功徳があるとも言っており、非常に柔軟性に富んだ考えだった。

一遍は、著書を残すこともなく、信徒を組織化して教団を作ることもしなかったが、弟子の他阿弥陀仏時宗の教団化を行うことで再興した。一遍は念仏札を25万人以上に配ったと言われている。

一遍」は房号であり、法諱は「智真」。一は一如、遍は遍満、一遍とは「一にして、しかも遍く(あまねく)」の義であり、智は「悟りの智慧」、真は「御仏が示す真(まこと)」を表す[1][信頼性要検証]。「一遍上人」、「遊行上人(ゆぎょうしょうにん)」、「捨聖(すてひじり)」と尊称される。諡号は「円照大師」(明治19年(1886年)[2][3]8月[4]近代における私諡号[要出典])、「証誠大師」(昭和15年(1940年)3月23日宣下[5])。俗名は河野時氏[要出典]とも、通秀[6] [信頼性要検証]とも、通尚[7][8] ともいうが、定かでない。


  1. ^ 「我が屍は野に捨てよ」佐江衆一(新潮社)、24、125頁
  2. ^ "円照大師". 世界大百科事典 今井雅晴. コトバンクより2023年1月21日閲覧
  3. ^ 野田秀雄「明照大師嘉号請願考」『鷹陵史学』第12巻、佛教大学歴史研究所、1986年、156頁。 
  4. ^ 辻岡健志「皇室の神仏分離とその後の仏教 宮内省の対応を中心に」『書陵部紀要』第69巻、宮内庁書陵部、2018年、13頁。 
  5. ^ 矢吹康英「〈研究ノート〉大正十一年の「立正大師」諡号宣下をめぐって」『日蓮教学研究所紀要』第42巻、立正大学日蓮教学研究所、2015年、35頁、ISSN 02875373 
  6. ^ 宝厳寺蔵 歴史シンポジウム「遊行ひじり一遍」1983年5月14日開催
  7. ^ "一遍". 日本大百科全書(ニッポニカ)、 広神清. コトバンクより2023年1月21日閲覧
  8. ^ 「わが屍は野に捨てよ」佐江衆一(新潮社)、52頁。「一遍 その行動と思想」大橋俊雄(評論社)、20頁
  9. ^ 「一遍と時宗教団」大橋俊雄(教育社)、28頁
  10. ^ [1]
  11. ^ 「一遍聖絵」によれば遊行中の伊予への一時帰国はこれで4度目
  12. ^ 「一遍聖絵」10-41(聖絵の章立ては「一遍上人全集」(春秋社)による)。「一遍上人と大三島」浅野純以(今治市大三島町の万福寺1999年7月31日刊行資料)、65、66頁
  13. ^ 「一遍聖絵」10-41。「一遍上人と大三島」浅野純以、40、68頁
  14. ^ 「一遍聖絵」12-48
  15. ^ 「一遍聖絵」4-16
  16. ^ 「一遍と時宗教団」大橋俊雄(教育社)、60頁
  17. ^ 「我が屍は野に捨てよ」佐江衆一(新潮社)、125頁
  18. ^ 「ビジュアル百科 日本史1200人」入澤宣幸(西東社)、79頁
  19. ^ 「一遍と時宗教団」大橋俊雄(教育社)、13頁
  20. ^ [2]
  21. ^ 「一遍聖絵」11-45
  22. ^ 下川耿史『盆踊り:乱交の民俗学』作品社、2011年。ISBN 9784861823381  pp.126-136.
  23. ^ 『現代語訳 一遍上人縁起絵 全十巻』(法藏館、2022年)で、詞書を全現代語訳。
  24. ^ 市内文化財の詳細|学習の森|安中市”. www.city.annaka.lg.jp. 2022年10月16日閲覧。
  25. ^ 『佐久市の文化財』昭和57年3月1日、長野県佐久市教育委員会発行。93頁


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