神崎成兼とは? わかりやすく解説

神崎成兼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/11 20:24 UTC 版)

神崎太郎成兼(かんさきたろうなりかね、?~1243年~?)は、鎌倉時代の武将。高江領から莫祢院(阿久根市)に居を構え、水引新田宮執印図嘉房の女を妻にし、神崎氏を改めて「莫禰太郎成兼」を名のった。初代阿久根(莫禰バクネ・英祢アクネ)氏。


平家の流れをくむ大宰大監平季基の子の兼輔は、従五位下に任じ肥前国神埼荘を領し、神崎氏を名のり、その子の兼重は薩摩郡高江郷と莫祢院を併領し、両院の院司職を兼ねる。

兼重の子・神崎太郎成道の時、平家が亡び源氏が政権を握る事になるが、成道は進んで鎌倉幕府御家人となり、改めて高江・莫祢の領主となる。その成道の子が神崎太郎成兼である。


阿久根氏は、平安末の天治元年(1124年)~文禄2年(1593年)の間、阿久根地方の領主として君臨し治めた最も古い豪族である。 9代良忠の時(1451年)に創設された薩州島津家に莫祢領は領地を取られてしまうが、地名も阿久根の三文字に改め、薩州家の家老として順応して、14代の阿久根良照まで代々家老職を世襲したが、薩州島津家の断絶に殉じて阿久根氏も永年治めていた阿久根の地を去ることになる。 末裔は山崎と姓を変え、大隅に移住した。

系図

(平)季基―(神崎)兼輔―成道―(莫禰)成兼―成秀―成光





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「神崎成兼」の関連用語

神崎成兼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



神崎成兼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの神崎成兼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS