ハバロフスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 21:04 UTC 版)
概要
北緯48度42分、東経135度12分にある。アムール川の右岸中流域に位置し、ウスリー川との合流点のすぐ下流にある。
人口は、2019年に行われた国勢調査によると617,473人であった。地域経済の中心として機械工業や金属工業、木材業が発達している。
首都のモスクワからは遙かに遠く、シベリア鉄道経由で8,523 kmの距離、7時間の時差がある。一方、アムール川の対岸にある中国領からは30kmの距離にあり(中国はUTC+8なので、中国との時差は2時間)、アムール川とウスリー川の合流点にある大ウスリー島(中国名:黒瞎子島)は中ソ国境紛争の重要な係争地となっていた。なお、2004年に国境確定問題は決着し、大ウスリー島がロシアと中国の共同管理に置かれる事で合意したため、ハバロフスクに対する軍事上のリスクはほぼ完全に解消された。次いで2008年には国境線が最終的に確定した。
ハバロフスクはシベリア鉄道の重要な拠点であり、コムソモリスク・ナ・アムーレへ向かう支線の分岐点でもある[注 1]。また、アムール川やウスリー川の水運にも恵まれるが、これらの川は冬季には長期間凍結する。
気候
ケッペンの気候区分によると、ハバロフスクは亜寒帯冬季少雨気候または湿潤大陸性気候に属する。寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。
冬季は乾燥しており、基本的に晴天が続く。2011年1月14日にハバロフスクの最低気温記録である-40.0℃を観測している。
夏季は湿度が高く、年間降水量の70%が集中している。晴天の日には高温になることもある。2010年6月27日にハバロフスクの最高気温記録である36.4℃を観測している。
ハバロフスク(1991~2020)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 0.6 (33.1) |
6.3 (43.3) |
17.0 (62.6) |
28.6 (83.5) |
31.5 (88.7) |
36.4 (97.5) |
35.7 (96.3) |
35.6 (96.1) |
29.8 (85.6) |
26.4 (79.5) |
15.5 (59.9) |
6.6 (43.9) |
36.4 (97.5) |
平均最高気温 °C (°F) | −14.9 (5.2) |
−9.9 (14.2) |
−1.0 (30.2) |
10.5 (50.9) |
19.2 (66.6) |
23.8 (74.8) |
26.8 (80.2) |
24.9 (76.8) |
19.7 (67.5) |
10.6 (51.1) |
−2.8 (27) |
−13.6 (7.5) |
7.8 (46) |
日平均気温 °C (°F) | −19.2 (−2.6) |
−14.9 (5.2) |
−5.9 (21.4) |
4.8 (40.6) |
12.9 (55.2) |
18.0 (64.4) |
21.4 (70.5) |
19.9 (67.8) |
14.1 (57.4) |
5.4 (41.7) |
−6.9 (19.6) |
−17.4 (0.7) |
2.7 (36.9) |
平均最低気温 °C (°F) | −23.1 (−9.6) |
−19.6 (−3.3) |
−10.7 (12.7) |
−0.1 (31.8) |
7.3 (45.1) |
12.8 (55) |
16.8 (62.2) |
15.7 (60.3) |
9.4 (48.9) |
1.0 (33.8) |
−10.4 (13.3) |
−20.9 (−5.6) |
−1.8 (28.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −40.0 (−40) |
−35.1 (−31.2) |
−28.9 (−20) |
−15.1 (4.8) |
−3.1 (26.4) |
2.2 (36) |
6.8 (44.2) |
4.9 (40.8) |
−3.3 (26.1) |
−15.6 (3.9) |
−27.7 (−17.9) |
−38.1 (−36.6) |
−40 (−40) |
降水量 mm (inch) | 13.1 (0.516) |
11.9 (0.469) |
22.1 (0.87) |
36.5 (1.437) |
69.5 (2.736) |
83.7 (3.295) |
137.1 (5.398) |
142.6 (5.614) |
84.6 (3.331) |
47.7 (1.878) |
25.5 (1.004) |
19.3 (0.76) |
693.6 (27.308) |
平均降雨日数 | 0 | 0 | 0 | 8 | 16 | 15 | 15 | 17 | 15 | 9 | 1 | 0 | 96 |
平均降雪日数 | 14 | 10 | 10 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 10 | 14 | 65 |
% 湿度 | 75 | 72 | 68 | 63 | 65 | 74 | 79 | 83 | 78 | 67 | 69 | 73 | 72.2 |
[要出典] |
歴史
1858年、アムール川を東進してきたロシア帝国の監視所がアムール川とウスリー川の合流点に建設され、17世紀のロシアの探検家エロフェイ・ハバロフにちなんで「ハバロフカ」と命名された(ハバロフはアムール川探検の際、現在のハバロフスク付近にアチャンスクという要塞を築き植民地化をもくろんだが、清軍などの攻撃により放棄している)。1860年の北京条約により、この町の中心部になるアムール川東岸(右岸)の地域は正式に清からロシアに割譲された。1895年には現在の「ハバロフスク」という名前になった[2]。
その後はロシアの極東進出の拠点となり、1916年にはアムール川を渡る鉄橋(アムール川鉄橋、現在のハバロフスク橋)が完成して、シベリア鉄道が全線開通した(それまでは清国内を通る東清鉄道が極東の幹線だった)。1917年にロシア革命が起こると、極東地域は反革命軍が制圧し、1918年にはシベリア出兵により日本軍がハバロフスクを占領した。その後、1920年に日本軍は撤退して極東共和国が成立し、1922年に日本軍がシベリア出兵を終了すると、ハバロフスクはソビエト政権の支配下に入った。
ソビエトもロシア帝国と同様にハバロフスクを極東開発の拠点として重視し、機械工業や金属工業などの重工業や、シベリアの豊かな森林資源を利用した木材業などの工業建設を進めた。また、極東では数少ない外国人開放都市と指定され、シベリア鉄道を利用する旅客や貨物の重要な拠点となった。その後、ペレストロイカによりウラジオストクなどが開放されても、経済や行政の中心地としての地位は維持した。
2000年にウラジーミル・プーチン大統領がロシア全土を7地区に分けた連邦管区制を導入すると、ハバロフスクは極東連邦管区の本部が設置され、名実ともに「ロシア極東部の首都」となっていたが、2018年12月にプーチン大統領が極東連邦管区の本部をウラジオストクに移転することを決定する大統領令に署名した。
注釈
出典
- ^ Official website of Khabarovsk. Sergei Anatolyevich Kravchuk, Mayor of Khabarovsk (ロシア語)
- ^ 加賀美雅弘『世界地誌シリーズ 9 ロシア』朝倉書店、2017年、147頁。ISBN 978-4-254-16929-4。
- ^ 『地球の歩き方(A 32)シベリア&シベリア鉄道とサハリン』ダイヤモンド・ビッグ社 /ダイヤモンド社、2006年
- ^ Lonely Planet: Russia (Lonely Planet Publications, 2009)
- ^ ハバロフスク地区の高等教育 Archived 2005年12月28日, at the Wayback Machine.(英語)
- ^ ハバロフスクの大学(英語)
- ^ ハバロフスク国立教育大学の日本語教育
- ^ The School of Russian and Asian Studies
- ^ 長勢了治『シベリア抑留全史』原書房、2013年8月8日、190頁。ISBN 9784562049318。
- ^ 小泉総理大臣のハバロフスク訪問極東・東シベリア便り(在ハバロフスク日本国総領事館)
- ^ 「新潟と姉妹都市に ハバロフスク市も決議」『読売新聞』読売新聞社、1965年1月15日、朝刊、14面。
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