タージ・マハル 建設

タージ・マハル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 05:52 UTC 版)

建設

場所の選定

北側のヤムナー川から見たタージ・マハル

タージ・マハルの建設地には、アーグラ城塞からヤムナー川を東へ約1kmほど下流の河川が湾曲する外側に当たる場所が選ばれた。ここは当時ラージャ・ジャイ・シングが所有する庭園で、彼の曾祖父にして皇帝アクバルの重臣でもあったラージプートの君主ラージャ・マーン・シングが造営したものだった[3]

この場所は、次の理由から選ばれた[3]

  • ムガル王朝の伝統では、墓は庭園の中にあるべきと考えられていた。
  • ヤムナー川はアーグラ城塞のある場所で湾曲し、同じく河川が曲がったこの場所に建設すれば建物の姿が川面に映りシンメトリーの視覚効果が得られると計算された。
  • 河川が曲がる外側は、それだけ強固な地盤が期待できた。

設計

設計にはイスラーム世界から広く名声を博した建築家工芸家らが集められた。20世紀にインド政府考古学調査局長のB・L・ダーマは研究書『ザ・タージ』にて設計者をイスラームに帰依したインド人ムハンマド・イーサー・エフェンディーと述べた。しかし、これも当時のヒンドゥー至上主義の影響を受けたもので、事実上設計者名は不明なままである。シャー・ジャハーンの主任建築家だったウスタード・アフマド・ラーホーリーの墓碑には彼がタージ・マハルの設計者だったと記されているが、これも多くの工匠らが持ち寄った設計を纏める役割に過ぎなかったと考えられる[3]

墓廟の外壁を彩る聖クルアーンの章句はシーラーズの書家アマーナトハーンペルシア語版の筆[9]スルス体で書かれている。

しかし名が伝わる部分の設計担当や工匠らもいる。円筒と組み合わせた丸屋根の設計はトルコから招かれたイスマーイール・ハーン、頂華の製作はラホールのカーシム・ハーン、大理石象嵌はデリーのチランジー・ラール、大楼門や墓廟に刻まれたカリグラフィーはシーラーズのアマーナト・ハーンとシリアのラウシャン・ハーンの2人の書家、透かし彫りや貴石の細工はバルーチスターンから細工師のアミール・アリー、石組みにはバグダードから技師のムハンマド・ハニーフが呼ばれ、他にも集められた有名な技師たちは多く、知られているだけでも37名が雇われた。彼らは高給を与えられ、例えばムハンマド・ハニーフは月1000ルピー、カーシム・ハーンは月695ルピーを得た。一般の熟練工で月5〜6ルピー、人夫は月1.5ルピー程度だったが、当時の通貨価値では1ルピーで小麦80kgが買えた[3]

墓廟の外壁には聖クルアーンの章句が刻まれているが、章句の選定とそのカリグラフィック・デザインはシーラーズ生まれの書家アブドゥルハックに任された[9]。シャージャハーンは書の出来栄えを気に入り、アブドゥルハックに「アマーナトハーン」のラカブ(尊号)を与え、900ザールのマンサブの地位も与えた[9]アマーナトハーンペルシア語版はその後さらに6年間かけて墓廟外壁のカリグラフィック・デザインを監督した[9]

職人はペルシャアラブ、果てはヨーロッパから2万人ほどを集めた。

建設

17年とも22年と言われる建設期間中には、常に2万人もの人々が工事に携わった。タージ・マハルが建つヤムナー川の岸は傾斜しており、庭園を囲む回廊の外側には厚い石垣が積み上げられ、土地を水平に造成している[3]

建材はインド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、大理石ラージャスターン地方のジャイプル産という。赤砂石はファテープル・シークリーの石切り場から運ばれた。翡翠水晶は遠く中国から、トルコ石チベットから、サファイアや瑠璃はスリランカから、カンラン石エジプトから、珊瑚真珠貝アラビアから、ダイヤモンドブンデルカンドから、アメジスト瑪瑙はペルシャから集められた[3]。他にも、碧玉パンジャーブ地方から、ラピスラズリアフガニスタンから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから取り寄せられたものだという。全体で28種類もの宝石・宝玉が嵌め込まれていた。

タージ・マハル建設にどれだけの費用がかかったかは明らかではない。宮廷史家アブダール・ハミード・ラホーリーは著書『皇帝行伝(パードシャー・ナーマ)』にて500万ルピーと記しているが、その他にも980万、1850万、4000万ルピーという説もある[4]


  1. ^ 『魅惑の財宝伝説 失われた黄金と宝石の謎』日経ナショナルジオグラフィック社、2017年、75頁。ISBN 978-4-86313-387-7 
  2. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2250545 「「新世界七不思議」が決定、清水寺は惜しくも選出されず」AFPBB 2007年07月09日 2017年5月11日閲覧
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak 渡辺(1988)、p.177-212、第四章 ムガル帝国の栄華、蓮池に浮かんだ墓廟
  4. ^ a b c d e f 渡辺(1988)、p.3-12、序 天上楽園の夢
  5. ^ a b c d e 渡辺(1988)、p.213-228、第四章 ムガル帝国の栄華、悲運の兄皇子密殺
  6. ^ 渡辺(1988)、p.110-124、第二章 二つの文明の融合、皇子の反乱と一族の女たち
  7. ^ 「ムガル皇帝歴代誌」p222 フランシス・ロビンソン著 小名康之監修 月森左知訳 創元社 2009年5月10日第1版第1刷
  8. ^ 辛島昇・前田専学・江島惠教ら監修『南アジアを知る事典』p425 平凡社、1992.10、ISBN 4-582-12634-0
  9. ^ a b c d Begley, W. E. (30 December 2012). "AMĀNAT KHAN ŠĪRĀZĪ". Encyclopædia Iranica. Vol. 9 (I ed.). pp. 923–924. 2020年9月1日閲覧
  10. ^ a b 渡辺(1988)、p.229-251、第四章 ムガル帝国の栄華、イスラム聖者と母性信仰
  11. ^ 渡辺(1988)、p.149-173、第三章 ペルシャ文化の影、文人皇帝とイスラム細密画
  12. ^ a b c d 渡辺(1988)、p.252-281、第四章 ムガル帝国の栄華、巡礼の路
  13. ^ 渡辺(1988)、p.252-281
  14. ^ MSNニュース(2020年6月1日)
  15. ^ UNESCO (2002年). “Periodic Reporting Exercise On The Application Of The World Heritage Convention”. UNESCO. 2015年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月7日閲覧。
  16. ^ Archaeological Survey of India: Night Viewings of Taj Mahal”. Asi.nic.in (2004年11月28日). 2015年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月7日閲覧。
  17. ^ インド・タージマハル、見物を1人3時間に制限 混雑制限で”. CNN (2018年4月1日). 2018年4月1日閲覧。
  18. ^ Ticketing & Entry Fee of Top Monuments in Agra, Agra Monuments::Official WebSite of Taj Mahal-U.P.Tourism”. www.tajmahal.gov.in. 2019年3月10日閲覧。
  19. ^ Koch, Ebba (2006) [Aug 2006]. The Complete Taj Mahal: And the Riverfront Gardens of Agra (First ed.). Thames & Hudson Ltd., 288 pages. p120 ISBN 0-500-34209-1
  20. ^ Koch, Ebba (2006) [Aug 2006]. The Complete Taj Mahal: And the Riverfront Gardens of Agra (First ed.). Thames & Hudson Ltd., 288 pages. p254 ISBN 0-500-34209-1
  21. ^ Koch, Ebba (2006) [Aug 2006]. The Complete Taj Mahal: And the Riverfront Gardens of Agra (First ed.). Thames & Hudson Ltd., 288 pages.  pp= 201–208 ISBN 0-500-34209-1
  22. ^ Travel Correspondent (2007年7月9日). “New Seven Wonders of the World announced”. The Telegraph. 2008年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月7日閲覧。
  23. ^ Archaeological Survey of India: Night Viewings of Taj Mahal”. Asi.nic.in (2004年11月28日). 2015年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月7日閲覧。
  24. ^ a b https://www.afpbb.com/articles/-/3103596?cx_part=search 「印タージマハル、黄ばみ除去の「泥パック」を塗布」AFPBB 2016年10月7日 2019年3月10日閲覧
  25. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/3157322?cx_part=search 「インド、タージマハルで入場者数制限へ」AFPBB 2018年1月3日 2019年3月10日閲覧
  26. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/3173257?cx_part=search 「タージマハル変色、「政府は保護を怠っている」 インド最高裁」AFPBB 2018年5月2日 2019年3月10日閲覧
  27. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/3171019?cx_part=search 「タージマハルの門、暴風で損傷 尖塔2本が倒壊 インド」AFPBB 2018年4月13日 2019年3月10日閲覧
  28. ^ 中野美代子『あたまの漂流』(岩波書店)、P.192






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