スカンディナヴィアのキリスト教化
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脚注
参考文献
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以下は翻訳元の英語版での参考文献であるが、翻訳にあたり直接参照していない
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関連項目
注釈
- ^ ほか、宗教史学者のヴァルター・ベトケによれば、北欧に限らずドイツなどでのゲルマン人のキリスト教化ではさまざまな強制的な方法が行われたが、その過程ではゲルマン人の宗教とキリスト教のそれぞれの要素が混合(シンクレティズム)することがあり、やがて「大規模なキリスト教のゲルマン化 (eine weitgehende Germanisierung des Christentums)」を引き起こしたという。 そうした中で、ゲルマンの宗教における主神オージンが備えていた「勝利の神、勝利の主」という要素がキリストに移行し、キリストが勝利の神と讃えられるかたちで、ゲルマンの宗教と共存しながらのキリストの神話化が進んだという[9]。
- ^ スカルド詩においては、キリストはしばしば天使達を従えた「天の主」として言及される。そうした表現も、キリスト教が受容する側の文化に合わせて変化した「中世初期キリスト教のゲルマン化」によるものだという。9世紀に古ザクセン語で書かれた叙事詩『ヘーリアント』では、キリストも東方の三博士も戦士や従者として語られている[10]。
- ^ オーラヴ1世による改宗の強要の動機については、アイスランドのシーグルズル・ノルダルは異なった見解を述べている。オーラヴがノルウェー王になったのは西暦995年で、最後の審判が訪れると預言されている西暦1000年の直前である。オーラヴには、ノルウェー人達を異教から離し地獄からも逃れさせようという意図があったのではないか。オーラヴが預言を知っていたという史料はないものの、オーラヴは救いの教えだけではなく地獄や最後の審判についても人々に伝えていたかも知れず、だからこそアイスランドのスカルド詩人ハルフレズは死の間際に地獄への恐れを語り、またアイスランドの改宗を決めた1000年のアルシングにおいてヒャルティ・スケッギャソンらが世界の終わりが間近いことを告げた後にはその場の人々が動揺して反論ができなくなったのではないか、という[29]。
- ^ 『ノルウェー史』の伝えるところでは、エイリークとスヴェインの政策によってノルウェーでのキリスト教信仰は退行していったとされる[32]。しかし、ブレーメンのアダムの伝えるところでは、デンマーク王のスヴェン双叉髭王がキリスト教徒となり、ノルウェーでのキリスト教の布教を推し進めたという。成川 (2009) の説明でも、キリスト教徒であるスヴェン双叉髭王がキリスト教徒となったことから、スヴェン双叉髭王から封土を与えられているエイリークらがノルウェーでキリスト教を排除しようとするとは考えにくいとしている。また、史料『ノルウェー古代列王史』では『ヘイムスクリングラ』と同様の説明となっている[21]。
- ^ シーグルズル・ノルダルによれば、オーラヴ1世の死後にノルウェーで異教信仰が回復したのは、西暦1000年に起きるはずだった最後の審判が実際には起きなかったことから、それまで人々をキリスト教信仰に駆り立てていた恐れが失われたためであろうという。ところが、最後の審判の年が1033年に訂正されると、多くの人が聖地巡礼に向かった。そしてそのことが、1030年のスティクレスタズの戦いで倒れたオーラヴ2世が殉教者として1年後に列聖され、その頃からノルウェーでの改宗も進んでいった要因となったというのである[29]。
- ^ レイダング (leidang) はハーコン善王の時代に成立した防衛のための制度で、農民に対し、船の乗務や2ヵ月分の武器と食糧の提供を求めた[48]。
出典
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