ショーン・コネリー ショーン・コネリーの概要

ショーン・コネリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/15 14:22 UTC 版)

ショーン・コネリー
Sir
Sean Connery
2008年
本名 Thomas Sean Connery
生年月日 (1930-08-25) 1930年8月25日
没年月日 (2020-10-31) 2020年10月31日(90歳没)
出生地 スコットランド
ロージアン州エディンバラ
死没地 バハマナッソー
国籍 イギリス
身長 188 cm
職業 俳優プロデューサー
ジャンル 映画
活動期間 1954年 - 2005年・2012年
活動内容 1962年:『007 ドクター・ノオ
1987年:アカデミー賞受賞
1999年:ナイト叙任
2006年:引退宣言
配偶者 ダイアン・シレント英語版(1962年 - 1973年)※離婚
ミシュリーヌ・ルクブルン(1975年 - )
著名な家族 ニール・コネリー英語版
実弟
公式サイト SeanConnery.com
主な作品
007』シリーズ(1962年 - 1983年)
史上最大の作戦』(1962年)
王になろうとした男』(1975年)
薔薇の名前』(1986年)
アンタッチャブル』(1987年)
インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)
レッド・オクトーバーを追え!』(1990年)
ザ・ロック』(1996年)
 
受賞
アカデミー賞
助演男優賞
1987年アンタッチャブル
ヨーロッパ映画賞
生涯貢献賞
2005年
MTVムービー・アワード
最優秀スクリーン・デュオ
1996年『ザ・ロック
AFI賞
生涯功労賞
2006年
英国アカデミー賞
主演男優賞
1987年『薔薇の名前
フェローシップ賞
1997年
ゴールデングローブ賞
助演男優賞
1987年『アンタッチャブル』
セシル・B・デミル賞
1995年
トニー賞
演劇作品賞
1998年『'Art'
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
助演男優賞
1987年『アンタッチャブル』
生涯功労賞
1993年
備考

署名
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来歴

初代ジェームズボンド関連

007 ゴールドフィンガー』のジェームズ・ボンド役(1964年)。隣にいるのは歴代ボンドガールの一人、ティリー・マスターソンを演じたタニア・マレット。

スコットランドのエディンバラアイルランド系の家庭に職工、トラック運転手の父ジョセフと洗濯女の母、ユーフェミアのとの間に生まれた[2][3]。コネリーの先祖の地はアイルランド東部ウェックスフォード県[4]

義務教育修了後、最初に得た仕事は牛乳配達であった[5][6]。その後、イギリス海軍に従軍するも健康上の理由で除隊し、トラック運転手、労働者、美術モデル[7][8]ライフガードなど種々の仕事をしながらボディビルジムに通う。またこの頃、ボニーリッグ・ローズ・アスレチックFCというセミプロのサッカー選手としてプレーもしていて[9]、右ウイングを務めていたが、マット・バスビー監督の目に留まり、マンチェスター・U入りのオファーを受けたがこれを断った[10]。1953年にはミスター・ユニバース・コンテストの重量上げ部門で3位入賞したが、その時に出場者の一人に演技の道に進むように勧められる。1954年からテレビや劇団に出演するようになる。

コネリーはスコットランド人としての矜持が強く、その独特のアクセントを矯正したことは一度もない。そのため、デビュー間もない頃は別人に声を吹き替えるという屈辱的な扱いを受けることもあった。(例:『史上最大の作戦』等)ジェームズ・ボンド役を引き受ける際もアクセントを矯正しないことを絶対条件とした。このため、ボンドは原作に於いてスコットランド出身という設定が付け加えられた。ボンド以外の役柄もスコットランド出身という設定に変更したものが多い(『風とライオン』等)。

007 ダイヤモンドは永遠に』の撮影シーン(1971年)

1961年、コネリーは20世紀フォックスの契約俳優でありながら、イーオン・プロダクションズとジェームズ・ボンド役として5本のボンド映画に出演する異例の契約を交わし、翌1962年の『007 ドクター・ノオ』で知名度は世界的に上昇した。『007 ロシアより愛をこめて』『007 ゴールドフィンガー』『007 サンダーボール作戦』『007は二度死ぬ』など5作出演の契約を履行した。『ロシアより愛をこめて』は特に評価が高かった[11]

『007は二度死ぬ』(1967年)のロケで訪日した際、記者会見でボンド役からの引退を表明して国内外で驚かれた[12]。その後、コネリーが希望する映画2作の製作費を負担するという条件をユナイテッド・アーティスツが受け入れたことで[13]、1971年の『007 ダイヤモンドは永遠に』でボンド役に復帰した。コネリーが007シリーズ再出演の条件とした2本のうち、実現したシドニー・ルメット監督『怒りの刑事』(1972年)では感情の起伏が激しい刑事を演じた。その前年のルメット監督作『ショーン・コネリー/盗聴作戦』では犯罪者役だった。日本の映画監督緒方明はこの時期のコネリーについて、ボンドのイメージから離れようと苦闘していたが、ヒーローらしさが出てしまっていたと評している[12]

1983年、女優のタリア・シャイアらと組んで自主製作したボンド映画『ネバーセイ・ネバーアゲイン』でもボンドを演じ、計7本の作品でボンド役を務めた。この映画はPSO(プロデューサーズ・セールス・オーガニゼーション)が世界に販売、ワーナーが北米配給[注 1]をした。これらはすべて成功をおさめ、AFIから"アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100"の3位に選ばれている。また、コネリーは自己紹介の台詞「The name is Bond, James Bond.」を初めて使い、以来2作を除く[注 2]全作で使われるようにした張本人でもある。

ボンド、或いはボンドのパロディ的役どころ(例:『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』『ザ・ロック』等)を演じることには積極的であるが、プロデューサーであるアルバート・R・ブロッコリハリー・サルツマンとの仲は芳しくなく、「ボンドを殺したい」とまで言い放つなど[13]、シリーズへの復帰には消極的であった。直接の後任俳優の一人であるロジャー・ムーアとは無名時代からの友人であり、ともに共演を望んだほどの親友でもあった。

ボンド役引退後

『007』シリーズ以外にもコネリーは様々なジャンルの映画にも意欲的に出演し、アルフレッド・ヒッチコック作品の『マーニー』やオードリー・ヘプバーンと共演した『ロビンとマリアン』など多くの作品に出演した。1987年には『アンタッチャブル』で主人公を助ける警官役の演技が称賛され、アカデミー助演男優賞ゴールデングローブ賞 助演男優賞を受賞した。1998年にブロードウェイで『'Art'』を製作し、トニー賞 演劇作品賞を受賞する。

その後、コネリーは『ロード・オブ・ザ・リングシリーズ』のガンダルフ役のオファーを受けるも、スクリプトを理解できなかったため断った[14]。受け入れていれば4億5000万ドルもの報酬を受け取れていた。同様の理由で『マトリックス』のアーキテクトも断っている。

コネリーは2006年にアメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI:American Film Institute)の生涯功労賞を受賞したのを機に、俳優業引退を宣言した[15]

その後は引退を楽しみ[16]、2007年に1989年の『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』で演じたヘンリー・ジョーンズ役で『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』への出演オファーを受けたが、検討した結果出演しないと正式に発表[17]、同作ではコネリーが演じたヘンリーは既に死亡したという設定になり、写真のみが劇中で使用された。2010年、『007 スカイフォール』で監督のサム・メンデスも、当初キンケイド役にコネリーを考えていたが、実現はしなかった[18][19]

晩年は認知症を患っており、苦しんでいたことが妻によって語られている[20][21]。コネリーは2020年10月30日深夜から31日早朝にかけて滞在先の大西洋の島国バハマの自宅で没した[1][22][23]。また、この逝去に関しイーオン・プロダクションズのウェブサイト上で発表がなされており、同社広報担当者によれば、金曜の終わりから土曜の早朝にかけ息を引き取っている所を家族によって確認された[24]。後にTMZが取得した死亡診断書によれば、コネリーは肺炎、老衰、そして心房細動による呼吸不全で死亡したとされており、死亡日時は10月31日午前1時半となっている[25]

私生活

ダイアン・シレント

コネリーは1962年に女優のダイアン・シレント英語版[26]と結婚し、後に俳優となる息子ジェイソン・ジョセフ・コネリー[27]をもうけるが、1973年に離婚した。1975年にはフランスモロッコ人画家のミシュリーヌ・ロクブリュヌ(Micheline Roquebrune[28][29]と再婚している。

Micheline Roquebrune

注釈

  1. ^ 日本では日本ヘラルドが配給。
  2. ^ 『007は二度死ぬ』『007 慰めの報酬』のみ出て来ていない。

出典

  1. ^ a b 初代「007」俳優サー・ショーン・コネリー死去 90歳”. BBCニュース (2020年10月31日). 2022年6月14日閲覧。
  2. ^ Sean Connery Biography”. filmreference.com. 2007年9月29日閲覧。
  3. ^ Case Study 1-Sean Connery-James Bond”. familyrelatives.com. 2012年8月6日閲覧。
  4. ^ 英語版より。[出典無効]
  5. ^ From the Co-op with love.. the days Sir Sean earned £1 a week”. The Scotsman (2005年11月21日). 2007年9月29日閲覧。
  6. ^ a b “英俳優ショーン・コネリー、78歳の誕生日に自伝を発表”. AFPBB News. (2008年8月27日). https://www.afpbb.com/articles/-/2511787?pid=3264951 2009年7月16日閲覧。 
  7. ^ Even as an unknown, Sean was still a draw”. The Scotsman (2003年8月22日). 2007年9月29日閲覧。
  8. ^ “青年ショーン・コネリーの油彩画発見、美術モデル時代の半裸像”. AFPBB News. (2007年10月26日). https://www.afpbb.com/articles/-/2303222?pid=2281578 2009年7月16日閲覧。 
  9. ^ ショーン・コネリーさん、サッカー選手になっていたかもしれなかった。ロナウジーニョも追悼”. 2021年10月2日閲覧。
  10. ^ “名将バスビーがスカウトしてマンUと契約寸前だった!? 他界した名俳優ショーン・コネリーの意外な過去とは?”. soccerdigest. (2020年11月1日). https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=81391 2020年11月4日閲覧。 
  11. ^ From Russia With Love”. 2020年4月4日閲覧。
  12. ^ a b 緒方明インタビュー「ショーンコネリーさんを悼む/007の呪縛と闘い続けた/劣等感ゆえに はまった「ヒーロー役」朝日新聞』朝刊2020年11月15日(2020年11月21日閲覧)
  13. ^ a b ボンド俳優5人の降板の理由は意外なものだった!”. www.esquire.com (2018年11月18日). 2020年9月8日閲覧。
  14. ^ ショーン・コネリー、『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフ役を蹴っていた”. シネマトゥデイ. 2020年10月31日閲覧。
  15. ^ シネマトゥデイ (2006年4月18日). “ショーン・コネリー、俳優を引退”. 2009年1月11日閲覧。
  16. ^ “Connery bows out of Indiana film”. (2007年6月8日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/6733177.stm 
  17. ^ ショーン・コネリー、『インディ・ジョーンズ』への出演はないと正式発表”. www.cinematoday (2007年6月11日). 2020年9月6日閲覧。
  18. ^ Sam Mendes says cameo was discussed”. empireonline (2012年11月7日). 2017年6月10日閲覧。
  19. ^ Sam Mendes, 'Skyfall' Director, on Bringing Humor Back to James Bond & Flirting with the Idea of Casting Sean Connery”. The Huffington Post (2012年11月5日). 2012年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月10日閲覧。
  20. ^ Sean Connery, Who Embodied James Bond and More, Dies at 90”. The New York Times (2020年10月31日). 2020年11月3日閲覧。
  21. ^ “英名優ショーン・コネリーさん、晩年は認知症 妻が明らかに”. AFPBB News. フランス通信社. (2020年11月2日). https://www.afpbb.com/articles/-/3313273 2020年11月2日閲覧。 
  22. ^ "Sean Connery: James Bond actor dies aged 90". BBC NEWS (英語). British Broadcasting Corporation. 31 October 2020. 2020年10月31日閲覧
  23. ^ “ショーン・コネリーさん死去 90歳 「007」のボンド役 BBC報じる”. 毎日新聞. (2020年10月31日). https://mainichi.jp/articles/20201031/k00/00m/040/256000c 
  24. ^ Sean Connery, who brought James Bond to life on film, dies at 90”. The Washington Post (2020年11月1日). 2020年11月3日閲覧。
  25. ^ “SEAN CONNERY DIED FROM PNEUMONIA, HEART FAILURE”. TMZ. (2020年11月29日). https://www.tmz.com/2020/11/29/sean-connery-cause-of-death-pneumonia-james-bond-dead/ 2021年1月17日閲覧。 
  26. ^ Dianne Cilento - IMDb(英語), 2020年11月1日閲覧
  27. ^ Jason Connery - IMDb(英語), 2020年11月1日閲覧
  28. ^ Micheline Roquebrune - IMDb(英語), 2020年11月1日閲覧
  29. ^ Connery: Bond and beyond” (英語). BBC NEWS. BBC (1999年12月21日). 2023年11月29日閲覧。
  30. ^ ショーン・コネリー、俳優カムバックはなし!年寄りの脇役はイヤ!友人マイケル・ケインに断言”. www.cinematoday (2011年6月11日). 2020年9月6日閲覧。
  31. ^ “Sean Connery turned down megabucks role in ‘Lord Of The Rings’” (英語). www.nme.com. (2020年6月26日). https://www.nme.com/news/film/sean-connery-turned-down-megabucks-role-in-lord-of-877373 2012年11月19日閲覧。 
  32. ^ ショーン・コネリー、『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフ役を蹴っていた”. www.cinematoday (2012年11月20日). 2020年9月6日閲覧。
  33. ^ Gattuso reveals Sir Sean Connery begged him not to quit Rangers as he pays tribute to ‘charming’ James Bond icon”. The Sun. 2009年7月11日閲覧。
  34. ^ Cilento, Dianne (2006-5-4) (英語). My Nine Lives. Michael Joseph Ltd. ISBN 9780718149253 
  35. ^ “Diane Cilento says Sean Connery abused her” (英語). UPI.com. (2005年9月4日). http://www.upi.com/Entertainment_News/2005/09/24/Diane-Cilento-says-Sean-Connery-abused-her/UPI-80841127618681/ 2009年8月1日閲覧。 
  36. ^ “The pain of Mrs Bond” (英語). Times Online. (2006年4月30日). http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/scotland/article710646.ece 2009年8月1日閲覧。 
  37. ^ Clark, Joan (2006年8月14日). “Yes, Connery did beat me unconscious” (英語). Mail Online. http://www.dailymail.co.uk/femail/article-400436/Yes-Connery-em-did-em-beat-unconscious.html 2009年8月1日閲覧。 
  38. ^ “Sean Connery:you’re on your own, 003½” (英語). Times Online. (2008年7月20日). http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article4364310.ece 2009年8月1日閲覧。 
  39. ^ Cable, Simon (2008年7月20日). “Sean Connery brands ex-wife 'insane woman' after claims he snubbed son in will” (英語). Mail Online. http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-1037254/Sean-Connery-brands-ex-wife-insane-woman-claims-snubbed-son-will.html 2009年8月1日閲覧。 
  40. ^ Borland, Sophie (2008年7月27日). “'My father is NOT a tyrant,' says Sean Connery's son” (英語). Mail Online. http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-1038968/My-father-NOT-tyrant-says-Sean-Connerys-son.html 2009年8月1日閲覧。 
  41. ^ Scott, Paul (2008年8月8日). “Sean Connery:The story of a brilliant but deeply flawed man” (英語). Mail Online. http://www.dailymail.co.uk/news/article-1043053/Sean-Connery-The-story-brilliant-deeply-flawed-man.html 2009年8月1日閲覧。 
  42. ^ コネリーさん吹き替え若山弦蔵「功成り名を遂げた」 - ウェイバックマシン(2020年11月7日アーカイブ分) 日刊スポーツ
  43. ^ “007吹き替えた若山弦蔵、ショーン・コネリーさんは「功成り名を遂げたすごい人」”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2020年10月31日). https://www.sanspo.com/article/20201031-7HCLIGP5S5OGJIMAVKIEQHNNXA/ 2024年2月4日閲覧。 
  44. ^ “007吹き替えた若山弦蔵、ショーン・コネリーさんは「功成り名を遂げたすごい人」”. ZAKZAK (産業経済新聞社). (2020年11月2日). https://www.zakzak.co.jp/article/20201102-CADJZFKNUJN37AIWLILRZUJ3JY/ 2024年2月4日閲覧。 


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