イッソスの戦い イッソスの戦いの概要

イッソスの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/17 15:50 UTC 版)

イッソスの戦い
Battle of Issus mosaic - Museo Archeologico Nazionale - Naples BW.jpg
イッソスの戦い(ポンペイのモザイク画)
戦争:アレクサンドロス3世の東方遠征
年月日紀元前333年10月
場所:イッソス(現代のイスケンデルン
結果:連合軍の勝利
交戦勢力
Vergina sun.svg アルゲアス朝
コリントス同盟
Standard of Cyrus the Great (Achaemenid Empire).svg アケメネス朝
指導者・指揮官
Vergina sun.svg アレクサンドロス3世 Standard of Cyrus the Great (Achaemenid Empire).svg ダレイオス3世
戦力
22,000 重装歩兵[1]
5,850 騎兵[2]
13,000ペルタスト[2]
合計40,850
10,000 不死隊
11,000 騎兵
10,000 ギリシア傭兵
合計91,000

30,000–80,000 軽装歩兵[3] [4]
11,000 騎兵[2]
10,000 不死隊
10,000 ギリシャ傭兵[5]
合計: 50,000–108,000 (現代の文献)
250,000–600,000 (古代の文献)

損害
7000[6] ~20,000 
アレクサンドロス3世の東方遠征

地形

この戦いは古代のイッソスの南で行われた。イッソスは現在イスケンデルンという町の近くにあり、近くにピナルス川という小さな川が流れている。なおイスカンデルンはトルコ語でアレクサンダーを意味しており、この街はアレクサンダー大王の勝利を記念して作られた。この場所は2.6kmの間にイッソス湾と山に囲まれており、ダレイオスは軍量の優位を利用することが出来なかった。古代の歴史家はデリタイ川がピナルス川であると信じていたが、N. G. L. HammondとAndrew Devineは実際はデリタイ川はパヤス川であったと主張している。Hammondらは川の流れの調査を行い、川の流れが古代から劇的に変わったとは考えらないと主張している。。これらの証拠はマケドニア軍に同行していた歴史家カリスティニィーズの戦場の記録、、シケリアのディオドロスによる戦闘前の両軍の行軍の調査に基づいている。

イッソスの戦い

序幕

ヤン・ブリューゲル (父)によるイッソスの戦い

紀元前334年にアジア遠征に出たアレクサンドロス率いるアルゲアス朝およびコリントス同盟の連合軍(以下「マケドニア軍」)は、グラニコス川の戦いでペルシアの地元サトラップが率いる軍勢を撃破し、小アジア全体を征服するために進撃を続けた。タルソスに滞在している時に、ダレイオスがバビロンで大軍を編成しているとの情報に接した。ダレイオスがイッソス湾まで到達すれば、地中海に残っているファルナバズスのペルシア艦隊の援護を受けることができるため、アレクサンドロスはペルシア軍に先んじてイッソス湾沿岸を占領するため、パルメニオン率いる一隊を差し向けた。11月に入り、アレクサンドロスはペルシアの大軍がシリアに入り、ソコイにいるとの情報に接し、軍勢を集結させて、イッソスからシリア門を抜けて南に進軍することにした。

ダレイオスはパルメニオンがシリア門を制圧したことを知っており、アマノス門を通って北からイッソスに向かうことにした。ペルシア軍はイッソスを抵抗なしに占領し、その地に残されていたマケドニア軍の全傷病兵の腕を切り落とした。[7]ダレイオスはマケドニア軍の背後を遮断し、海岸沿いの狭い平地に布陣して北上してくるマケドニア軍を待ち受けた。


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  1. ^ Warry (1998) estimates Alexander's army to be 31,000 in total.[要ページ番号]
  2. ^ a b c Moerbeek (1997).[要ページ番号]
  3. ^ https://books.google.de/books?id=NECnIjWtIMEC&pg=PA241&lpg=PA241&dq=peltasts+ionia&source=bl&ots=g4Ng9S_6iC&sig=Jd8l5onclpgSsq8auD-
  4. ^ pothos.org - Major Battles”. 2007年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月19日閲覧。
  5. ^ Welman.
  6. ^ Welman estimates over 16% of the Hellenic army were killed.[要ページ番号]
  7. ^ ロビン・レイン・フォックス,2001,p325
  8. ^ ibliotheca Historica. p. 17.33–34.
  9. ^ 森谷 公俊,2013,p43
  10. ^ 森谷公俊、2000、p126
  11. ^ 森谷公俊,2000,p131
  12. ^ ロビン・レイン・フォックス、1973,p338
  13. ^ 澤田 典子,2013,p26


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