アレクサンドル・メリク=パシャーエフ
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アレクサンドル・シャミーリエヴィチ・ メリク=パシャーエフ | |
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アルメニアで2006年に発行された切手 | |
基本情報 | |
出生名 |
Ալեքսանդր Մելիք-Փաշայան Александр Шамильевич Мелик-Пашаев(Мелик-Пашаян) |
生誕 |
1905年10月23日 ロシア帝国、ティフリス |
死没 |
1964年6月18日(58歳没) ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
学歴 | トビリシ音楽院、レニングラード音楽院 |
ジャンル | クラシック |
職業 | 指揮者、作曲家、ピアニスト、音楽教師 |
概要
グルジアのティフリス(トビリシ)に生まれる。トビリシ音楽院でニコライ・チェレプニンに学ぶ。その後、レニングラード音楽院でアレクサンドル・ガウクに指揮法を、ウラディーミル・シチェルバチョフに作曲を師事し、1930年に卒業した。 1923年から1931年までトビリシ歌劇場の指揮者を務める。1931年よりボリショイ劇場の指揮者陣に加わり、1953年から1963年の間、音楽監督を務める。在任中、ボリショイ・オペラの国外公演を何度か成功させている。また、1933年から1934年にかけては、モスクワ音楽院附属オペラ劇場の音楽監督を務め、1938年に開催された全ソ指揮者コンクールでは2位に入賞している(優勝はエフゲニー・ムラヴィンスキー)。1942年にチャイコフスキーのオペラ『チェレヴィチキ』、翌1943年にロッシーニのオペラ『ウィリアム・テル』の上演によりスターリン賞第1席を受賞している。
特にジュゼッペ・ヴェルディは少年時代以来のお気に入りの作曲家であり、オペラ『アイーダ』のモノラル、ステレオの2度にわたる録音のほか、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団とのレクイエムの録音が残されている。
作曲家としては、レールモントフの原作に基づくオペラ『ペチョーリン』、シェイクスピア原作の『十二夜』、交響曲ハ短調、プーシキンやエレンブルグの詩につけた歌曲などがある。
1964年にモスクワで死去し、ノヴォデヴィチ墓地に埋葬された。
主なオペラ録音
ここにあげた録音は全てボリショイ劇場管弦楽団・合唱団を指揮したソ連録音(メロディア)[1]。
- グリンカ:オペラ『イヴァン・スサーニン』(1947年)
- チャイコフスキー:オペラ『チェレヴィチキ』(1948年)
- チャイコフスキー:オペラ『スペードの女王』(1949-1952年)
- アントン・ルビンシテイン:オペラ『悪魔』(1950年)
- ボロディン:オペラ『イーゴリ公』(1952年)[2]
- ヴェルディ:オペラ『アイーダ』(1953年(モノラル)および1961年(ステレオ)の2種)
- プロコフィエフ:オペラ『戦争と平和』(1961年)
- ムソルグスキー:『ボリス・ゴドゥノフ』(1962年)
- 1 アレクサンドル・メリク=パシャーエフとは
- 2 アレクサンドル・メリク=パシャーエフの概要
- 3 オペラ以外の主な録音
固有名詞の分類
ロシアの指揮者 |
アレクサンドル・ティトフ エフゲニー・ムラヴィンスキー アレクサンドル・メリク=パシャーエフ ナタン・ラフリン アレクサンドル・アレクサンドロフ |
ソビエト連邦の指揮者 |
ヴェロニカ・ドゥダロワ エフゲニー・ムラヴィンスキー アレクサンドル・メリク=パシャーエフ ナタン・ラフリン レオ・ブレッヒ |
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