アレクサンドル・アバザー アレクサンドル・アバザーの概要

アレクサンドル・アバザー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 18:44 UTC 版)

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アレクサンドル・アバザー
Александр Агеевич Абаза
アレクサンドル・アバザー
生年月日 1821年7月24日
出生地 ロシア帝国トヴェリ県ロシア語版ヴィシネヴォロツク郡(現在のロシア連邦ノヴゴロド州オクロフカ市
没年月日 (1895-01-26) 1895年1月26日(73歳没)
死没地 フランスニース

在任期間 1867年 - 1868年
皇帝 アレクサンドル2世

在任期間 1868年 - 1877年
皇帝 アレクサンドル2世
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経歴・概要

1821年7月24日(ユリウス暦8月5日)[1]トヴェリ県ロシア語版ヴィシネヴォロツク郡(現在のノヴゴロド州オクロフカ市)で生まれる。生家はモルダヴィア貴族であり、農奴解放以前から製糖業を大規模に行っていた。

1839年ペテルブルク帝国大学法学部を卒業する。学業を終えた後、軍務につきカフカースでの戦闘に参加した。1847年退役する。その後は、対外経済事情の研究や自領の経営改善の傍ら、自由主義的、進歩的な貴族工場らのサークルに参加する。1857年エレーナ・パヴロヴナ大公妃に仕えた。大公妃は改革派官僚パトロネスでありアバザーもこのような「自由主義官僚」の一人となり、1860年代の経済的諸改革を推進していく。

1865年、大蔵省評議会議員に就任する。翌1866年国家評議会に選出される。1871年、会計検査官を経て、1874年から1880年まで国家評議会経済部会長を務めた。

1880年ミハイル・ロリス=メリコフ内相の後押しを受けて、大蔵大臣に就任する。アバザーはロリス=メリコフの希望していた塩税の廃止を皮切りに、鉄道事業債権の創設、関税税率の段階的引き上げを実施した。アバザーはロリス=メリコフ内相、ニコライ・ブンゲ大蔵次官(前キエフ帝国大学学長)などと納税制度、通貨制度、鉄道建設、財政など社会経済改革プログラムを推進し、ロリス=メリコフの志向する立憲改革を支持した。しかし、1881年3月1日アレクサンドル2世はロリス=メリコフの改革案に承認を与えた当日、「人民の意志」のソフィア・ペロフスカヤの指揮するグリネビツキーの爆弾テロによって暗殺された。新帝アレクサンドル3世によりロリス=メリコフの改革案は白紙還元となり、同年4月コンスタンチン・ポベドノスツェフが起草した勅令は、改めて皇帝専制の不動性を宣言したものであった。これを受けて5月4日、アバザー、ロリス=メリコフ、陸相ドミトリー・ミリューチンは直ちに辞職し改革は頓挫した[2]

1891年から1892年まで国家評議会経済部会長を再び務めたが、1892年にルーブルの下落に先立ち地位を利用して100万ルーブルの利益を上げたとされる。1893年3月10日、国家評議会などすべての公職から退く[3]

1895年1月26日(ユリウス暦1月20日)、ニースで死去。アレクサンドル・ネフスキー大修道院内のチーフヴィン墓地(Тихвинскоe кладбище)に眠る。


  1. ^ Шилов Д.Н. Государственные деятели Российской империи. ?Санкт-Петербург, 2002. ? С. 31.
  2. ^ ru:Правительственный вестник≫, 8 (20) мая 1881, № 99, стр. 1.
  3. ^ «Правительственный вестник», 8 (20) мая 1881, № 99, стр. 1.


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