TEE昇格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/02 18:05 UTC 版)
「ル・ミストラル (列車)」の記事における「TEE昇格」の解説
西ドイツ国鉄の提案をきっかけに、1965年から国内の優等列車もTEEに加えられることになり、同年5月30日のダイヤ改正からミストラルはTEEとなった。同時に非電化のマルセイユ - ニース間の牽引機関車が蒸気機関車からディーゼル機関車に置き換えられた。 1965年冬のダイヤ改正でミストラルのパリ - リヨン間の最高速度は160km/hとなり、さらに1968年にはリヨン - マルセイユ間も最高160km/hとなった。
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TEE昇格
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「ラインゴルト (列車)」の記事における「TEE昇格」の解説
1962年の新型車両導入により、ラインゴルトはTEEにふさわしい設備を備えたものとなった。このため西ドイツ国鉄、オランダ国鉄、スイス国鉄の三者は1964年のTEE委員会でラインゴルトをTEEに加えることを提案した。しかしラインゴルトは途中で複雑な分割・併合を行なっているため、運行時間に占める停車時間の割合が高く、停車時間を極力短くするというTEEの原則からは外れていた。またラインゴルトは途中でラインプファイルと客車のほぼ半数を入れ替えていたことから、西ドイツ国鉄は国内列車であるラインプファイルもTEEに昇格させることを主張した。交渉の結果、1965年夏のダイヤ改正からラインゴルト、ラインプファイルのほか、同型の客車を用いるブラウエル・エンツィアン(ハンブルク - ミュンヘン)と、これらとほぼ同程度の設備の客車を用いるフランス国鉄のル・ミストラル(パリ - ニース)もTEEに加えられることになった。これはのちにフランスや西ドイツ、イタリアに国内列車のTEEが次々と誕生するきっかけとなった。 こうして、1965年5月30日からラインゴルトはTEEの一列車となり、同時に運行区間はアムステルダム、フーク・ファン・ホラント - ジュネーヴ間に延長された。 1971年夏ダイヤ改正ではTEEの列車番号に関する規則が改定され、西ドイツを走行するTEEのほとんどで列車番号が奇数の向きと偶数の向きが反転した。ラインゴルトもそれまで南行が偶数(TEE 10)、北行が奇数(TEE 9)だったのが逆(南行 : TEE 7, 北行 : TEE 6)になっている。 TEEラインゴルトの食堂車などの車内サービスはドイツ寝台車食堂車会社(DSG, 旧ミトローパの西ドイツ側)によって行なわれた。 1970年代のラインゴルトでは列車秘書のサービスがあり、平日のドイツ国内の一定区間を運行中に限り、文書のタイプや車外への電話などを請け負っていた。
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