A310の開発とイギリスの加盟
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「エアバスA300」の記事における「A310の開発とイギリスの加盟」の解説
詳細は「エアバスA310」を参照 A300の販売が好転すると、エアバス・インダストリーは次期製品の検討を本格化した。これまで行っていた市場調査の結果から座席数200席強の旅客機需要が高まると予測され、同社はA300の胴体を短縮した派生型の開発を決断した。この派生型はA310と名付けられ1978年7月7日に正式開発が決定され、同月13日にフランス・ドイツ両政府からの事業認可を得た。 A300の販売好転とA310の開発決定という将来性が見えてくると、これまで様子見をしていたイギリス政府が方針を変えた。イギリスは、1977年4月29日にホーカー・シドレーを含む航空機メーカー4社を統合し、国有企業としてブリティッシュ・エアロスペース(以下、BAe)を設立させた。そして1978年11月、イギリス政府のエアバス計画への加盟が決定した。エアバスの苦しい時期を支えてきたフランス政府は、このイギリス政府の態度に反発したが、同じくエアバスを支えてきたドイツ政府は米国へ対抗するためにはイギリスの力を無視できないと考え、最終的にイギリス政府の参加が実現した。 A310の胴体は、A300の胴体から平行部分で11フレーム短縮された。また、このままでは機体重心から尾翼までの距離が長くなってしまうので、圧力隔壁の後方にあたる尾部も2フレーム短縮されて尾部の絞り込みがA300より急角度になった。これにより、A310の全長はA300B2より6.96メートル短縮された。初期のA310構想では主翼やシステム類はA300のものを流用して開発費を抑える考えだったが、ボーイングが全くの新規開発で双発ワイドボディ機「7X7」(のちの767)を研究していたことから、それに対抗するためエアバス・インダストリーはA310にできるだけ新技術を盛り込むことにした。短縮した全長に合わせて主翼は新規に設計された。当時、デジタル通信・制御技術が急速に進歩していたことと、航空会社が直接運航費の抑制を求めていたことから、アナログ式だったA300の機体システムは全面的にデジタル式へ設計変更され、自動化技術やフライ・バイ・ワイヤ技術も導入され、いわゆるグラスコックピット化された。これらにより、A310は標準仕様で操縦士2人で運航可能なワイドボディ機となった。A310では水平尾翼と降着装置も新設計となったほか、炭素繊維強化プラスチック (CFRP) などの複合材料の使用範囲も拡大された。 A310はA300と同じ組み立てラインで生産され、製造番号もA300と共通の通し番号が採番された。通算162号機がA310の初号機となり、1982年4月3日に初飛行した。A310は1983年3月11日に型式証明を取得し、1983年4月10日にルフトハンザ航空により初就航した。
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