電気自動車の歴史の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:28 UTC 版)
「電気自動車」の記事における「電気自動車の歴史の始まり」の解説
1830年代(1832年~1839年の間に、正確な時期は不明)、スコットランドの発明家ロバート・アンダーソンが充電不可能な一次電池を搭載した世界初の電気自動車を発明した。 販売された初の電気自動車は、最初のガソリンエンジン車(1891年)の5年前に英国で登場した。1899年にガソリン車よりも早く初めて100km/hを突破するなど当初は有望視され、自動車の黎明期には蒸気機関・内燃機関と動力源の覇権を争っていた。ハブにモーターを搭載したインホイールモーターの原型とも言える4輪駆動車を当時ローナー社在籍のフェルディナント・ポルシェが、1900年のパリ万博に出展した。 トーマス・パーカー(Thomas Parker)は1884年に自ら製作した特別仕様の大容量二次電池を搭載した実用的な自動車を英国ウルヴァーハンプトンで製造した。 アメリカでも発明王トーマス・エジソンが電気自動車の改良に努め、特に充電可能なバッテリーの開発に邁進していた。しかし、広大な国土を持つアメリカでは航続距離の短さが克服し難いネックとなり、やがて彼のもとで内燃機関を研究していたヘンリー・フォードによるフォード・モデルTの成功により自動車市場は完全に内燃機関自動車に支配された。イギリスでの牛乳配達用ミルクフロートや屋内用のフォークリフト等、一部を除いて電気自動車は一旦市場から姿を消す。 1930年代、ゼネラルモーターズ (GM)、ファイアストン、スタンダードオイルカリフォルニアの3社の協業で National City Lines (NCL) という会社が設立された。この会社は各地の電気機関車を使っていた路面電車の会社を買い取り、電車を廃止してGM製バスに切り替えるという事業を行った。3社はNCLへの車両や燃料などの供給を独占したことで有罪とされたが、NCLによる交通サービスの独占は問題にされなかった(アメリカ路面電車スキャンダル)。 日本でも第二次世界大戦後、ガソリンが不足していたうえに日本本土空襲による工場の破壊で電力が余っていた時期に数社から電気自動車が販売されていた。このうち東京電気自動車が開発したたま電気自動車は鉛蓄電池への一度の充電で65km走れ、最高時速は35kmだった。東京電気自動車を源流の一つとする日産により復元された車両が現存する。だが、終戦直後の日本製電気自動車は、朝鮮戦争による鉛価格の上昇やガソリンの入手性が向上した事により姿を消した。
※この「電気自動車の歴史の始まり」の解説は、「電気自動車」の解説の一部です。
「電気自動車の歴史の始まり」を含む「電気自動車」の記事については、「電気自動車」の概要を参照ください。
- 電気自動車の歴史の始まりのページへのリンク