加賀藩
金沢藩(加賀藩)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:09 UTC 版)
「江戸時代の日本の人口統計」の記事における「金沢藩(加賀藩)」の解説
享保6年(1721年)に金沢藩領内(支藩の大聖寺藩・富山藩領を除く)の15歳以上の人口を調べた「今津甚四郎書出候人数一巻」によると、金沢藩の15歳以上人口は左下のような身分構成となっている。これに対し幕府へ提出した15歳以上領民人口の構成は右下の通りで、多数の15歳未満人口のほか、御家中6万7302人(おそらく武家奉公人を含む)、寺社方1万9785人のみならず、百姓・町人人口の内、寺社門前地の百姓・町人、藤内など合計6万6234人も除外人口となっていた実態が伺える。 金沢藩の身分別領内人口構成(享保6年, 15歳以上)身分合計男女御家中 67,302 37,716 29,586 寺社方 19,785 11,580 8,205 加越能三ヶ国百姓・町人 618,750 314,671 304,079 加越能三ヶ国領内人口 705,837 363,967 341,870 近江国高島郡之内三ヶ村 1,840 918 922 領内人口 707,677 364,885 342,792 金沢藩の旧国別領民人口構成(享保6年, 15歳以上)旧国合計男女加賀国三郡 178,392 93,585 84,807 越中国三郡 237,667 123,005 114,662 能登国四郡 136,457 67,582 68,875 近江国高島郡之内三ヶ村 1,840 918 922 領民人口 554,356 285,090 269,266 15歳以上の百姓・町民人口の変遷は以下の通りである。金沢城下町の町方人口については金沢市参照。 金沢藩の百姓・町人人口変遷(15歳以上)年号西暦合計男女備考寛文4年 1664年 514,864 15歳未満を含む 寛文7年 1667年 518,864 15歳未満を含む 享保5年 1720年 551,754 享保6年 1721年 707,677 364,885 342,792 領内人口 554,356 285,090 269,266 享保17年 1732年 576,734 文化10年 1813年 844,054 領内人口 文政11年 1828年 664,934 338,628 326,306 天保5年 1834年 680,938 345,562 335,376 天保11年 1840年 639,592 322,490 317,102 弘化3年 1846年 679,920 343,486 336,434 嘉永5年 1852年 696,307 349,532 346,775 15歳未満の人口も含む明治3年旧暦閏10月10日(西暦1870年12月02日)の金沢藩の族籍別人口は以下の通りで、金沢藩は明治維新の頃に人口が100万人を超えていた唯一の藩である。 金沢藩の族籍別人口(明治3年旧暦閏10月10日付)族籍合計男女華族 11 3 8 士族 28,683 13,907 14,776 卒族 27,038 14,655 12,383 中間小者 5,938 3,567 2,371 社人 1,799 953 846 寺院 13,326 9,320 4,006 百姓・町人 997,669 498,585 499,084 藤内等 11,695 5,846 5,849 領内人口 1,086,159 546,836 539,323 (典拠は『加賀藩史料』、土屋喬雄『封建社会崩壊過程の研究』弘文堂(1927年)、『石川県史』)
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