1984年2月1日国鉄ダイヤ改正
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1984年2月1日国鉄ダイヤ改正(1984ねん2がつ1にちこくてつダイヤかいせい)では、日本国有鉄道(国鉄)が1984年(昭和59年)2月1日に実施したダイヤ改正について記す。昭和59年2月改正なので「59・2」(ゴーキュウニ)とも呼ばれた。
- ^ 『昭和59年 運輸白書』(レポート)運輸省、1984年、1 輸送の動向。doi:10.11501/12064696 。
- ^ 杉山淳一. “国鉄を知らない人へ贈る「分割民営化」の話”. 杉山淳一の「週刊鉄道経済」. ITmediaビジネスオンライン. 2022年11月9日閲覧。
- ^ a b 『昭和59年 運輸白書』(レポート)運輸省、1984年、1.日本国有鉄道経営再建促進特別措置法に基づく再建対策。doi:10.11501/12064696 。
- ^ ただし、この時点では一部操車場施設が後述する輸送基地等として利用されており、施設自体の全廃は1986年(昭和61年)まで要している。
- ^ 滝吉広享「貨物輸送の移り変わり」『鉄道ピクトリアル』1984年5月号 p11-14
- ^ 岡本充生「“59・2”ダイヤ改正と貨物輸送」『鉄道ジャーナル』1984年2月号 p50
- ^ 田村修二「国鉄貨物輸送の今後」『鉄道ピクトリアル』1984年5月号 p15-20
- ^ 岡本充生「“59・2”ダイヤ改正と貨物輸送」『鉄道ジャーナル』1984年2月号 p50-53
- ^ 輸送のネックであった碓氷峠を擁する信越本線の安中駅 - 小諸駅間など、本線でも貨物列車が廃止となる区間が存在した。
- ^ 列車愛称はマルスで寝台の指定をする際に必要であった。
- ^ 紀勢本線の夜行普通客車列車(改正前の「はやたま」)は寝台車廃止と12系化に合わせて、1972年(昭和47年)3月まで運行されていた南海サハ4801形客車による南海本線直通列車の流れを汲み、上り列車のみ連結されていた和歌山市駅発の編成を廃止した。
- 1 1984年2月1日国鉄ダイヤ改正とは
- 2 1984年2月1日国鉄ダイヤ改正の概要
- 3 参考文献
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