西谷墳墓群
西谷墳墓群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/01 02:20 UTC 版)
西谷墳墓群(にしだにふんぼぐん)は、島根県出雲市大津町字西谷にある弥生時代から奈良時代の墳墓群。国の史跡。
注釈
- ^ 墳形不明のものを含む。
- ^ 突出部を含むと約42メートル以上×約30メートル以上。
- ^ 攪乱土中からは朱塊が出土している。
- ^ 復元資料は3号墓のものを利用している。
- ^ この展示パネルは第35回島根広告賞のサイン・ディスプレイ部門の銀賞を受賞した。
- ^ 突出部を含めるとおよそ50メートル×40メートル。
- ^ 観音堂があったとされる[4]。
- ^ 残存規模は東西12メートル×南北8メートル、高さ1.75メートル[3]。
- ^ 突出部を含めるとおよそ60メートル×50メートル。
- ^ 突出部では2段に変化する。これもこの墳丘墓に独特の様相である。
- ^ 雨水による土の流出がひどかったため。
- ^ かつて前方後方墳とも考えられていた[4]が、調査[3][9]の結果長方形墳であるとされた。
- ^ 弥生時代における溝で区画された突出部の例として、西谷6号墓、宮山Ⅳ号墓が挙げられる。
- ^ 従来は方形墓とされてきた[4]。
- ^ 出雲考古学研究会による測量調査では円形とされていた[4]。
- ^ この資料は島根大学で保管されていた[14]。
出典
- ^ a b 池田(1956)
- ^ a b 渡辺(2018)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 出雲市教育委員会(1998)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 出雲考古学研究会(1980)
- ^ a b 渡辺(1993)
- ^ a b c d 島根大学考古学研究室・出雲弥生の森博物館(2015)
- ^ a b c d e f 出雲市教育委員会(1993)
- ^ 島根県文化財所有者連絡協議会・島根県文化財愛護協会(2018)
- ^ a b c d e f g h i j k l 出雲市教育委員会(2000)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 出雲市教育委員会(2006)
- ^ a b 島根大学法文学部考古学研究室・出雲市教育委員会(2006)
- ^ a b 出雲市教育委員会(2007)
- ^ 原(2008)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 出雲市・出雲市教育委員会(2011)
- ^ 渡辺(2007)
- ^ 坂本(2005)
- ^ a b c d e 出雲弥生の森博物館(2023年10月26日閲覧)
[続きの解説]
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