自己犠牲攻撃・カミカゼ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:25 UTC 版)
第二次世界大戦末期の1945年4月7日に、ドイツ空軍は「エルベ特別攻撃隊」によって、連合国爆撃機への体当たりによる特攻作戦を実施した。敗色濃厚のナチスドイツが、エルベ川周辺(ドイツ北部)に展開した部隊であるため、そのような通称となっている。特別攻撃は「自己犠牲攻撃」とも呼ばれており、約180機の戦闘機が体当たり攻撃を試み、約80人が戦死・行方不明になったとされる。 エルベ特攻隊の指揮官はハヨ・ヘルマンで、元ドイツ空軍のエース・パイロットだった(後には弁護士として、ホロコーストを否定するネオナチなどの弁護に関わっている)。 ドイツと日本は歴史的に因縁が深く、共に19世紀末に近代国家として国力拡充に務めた。日本は様々に政治・軍事・産業・文化等をドイツから学んだ。例えば文豪の森鷗外をはじめ、多くの若者がドイツ留学し、技術や知識を持ち帰った。かつて日本にとってのドイツは「近代化への師」であり、「ロマンをかき立てる憧憬の対象」だったとされている。特攻も、日本特有のものではなかった。 1944年11月4日、ナチスの機関紙『民族の監視者(フェルキッシャー・ベオバハター)』は、東京発で記事を一面に掲載した。 「カミカゼが新たな戦果・日本の決死の飛行士」【東京発十一月三日】 日本の新兵器である通称「カミカゼ飛行士」がここ数日間の動員によりフィリピン沖で大小の米軍艦隊を撃沈、大破させた。 この日本の兵器の秘密はどこにあるのか。まず明らかなことは、彼らは英雄的な行為として機体もろとも目標への突入を完遂しているのである。発表によると、彼らは爆弾で飛行機を満たし、燃料は片道だけを積んで出撃したという。帰還は不可能だ。それは「翼のついた生きた爆弾」だった。 「カミカゼ」という言葉は、日本がモンゴルからの侵略を受けた時に敵軍の船を吹き滅ぼして日本を救った「神風」に由来しており、日本人にとっては特別な意味を持つ。 この記事は「シキシマ隊の隊長」についても述べており、それは神風特攻隊の敷島隊を率いた、関行男大尉のことだった。関大尉は出撃直前に、「僕のような優秀なパイロットを殺すなんて、日本はお終いだよ」と述べていたが、この言葉は戦後まで明らかにされないまま、軍部もメディアも特攻隊を「英雄」として美化した。
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