そう‐きょく〔サウ‐〕【×箏曲】
箏曲(そうきょく)
箏曲
<そうきょく>
区分
重要無形文化財
保持者
江藤 敏子
<えとう としこ>
(芸名 米川 敏子)
<よねかわ としこ>
(東京都)
木原 司都子
<きはら しづこ>
(芸名 山勢 松韻)
<やませ しょういん>
(東京都)
解説
箏は、細長い桐の胴に柱を置き13本の弦を張り、右手の親指、人差し指、中指にツメをつけて演奏するもので、古くは「箏のこと」と言ったが、近世以降単に「こと」とも呼ばれ、琴と書かれることも多い。本来「こと」は弦楽器の総称なので、箏はいわばその代表格となったと言えよう。古代から雅楽の楽器の一つとして行われ、後に生田検校(1656~1715)が生田流を、山田検校(1757~1817)が山田流をはじめ、日本の伝統音楽の非常に重要な分野の一つとなっている。
箏曲
名称: | 箏曲 |
ふりがな: | そうきょく |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 音楽 |
認定区分: | 各個認定 |
指定年月日: | 1966.04.25(昭和41.04.25) |
解除年月日: | |
指定要件: | |
備考: | |
解説文: | 箏曲は、一七世紀の中ごろに八橋検校【やつはしけんぎょう】(一六一四-八五)が始め、上方【かみがた】の地唄【じうた】と密接に交流しつつ発達した。関西では生田【いくた】検校(一六五六-一七一五)が生田流を、関東では山田検校(一七五七-一八一七)が山田流を始め、箏曲の二大流派となっている。 邦楽の他の分野が演劇や舞踊と結びついて発展したのに対し、箏曲は純粋音楽として独自の発展をしたもので、わが国の音楽史上重要な地位を占めるとともに、芸術上高度な価値をもつ技法である。 |
箏曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 05:48 UTC 版)
箏曲(そうきょく)は、箏(そう)つまり「こと」の音楽の総称。また、特に現代では近世に発達した俗箏による音楽を指す場合が多く、大きく生田流箏曲と山田流箏曲に分かれる。三曲のひとつ。箏曲の古典的な音楽においては箏と三絃(「さんげん」。箏と合奏する三味線(しゃみせん)の事)の合奏曲(大半が弾き歌い)がほとんどである。そのため箏曲家とは、多くの場合、三絃・箏・地歌(地唄)の三つを扱うことの出来る演奏者である。また、箏だけを扱う演奏者は一般的に「箏奏者」「箏演奏家」と名乗ることが多い。
- ^ “文化財めぐり 八橋流筝曲(やつはしりゅうそうきょく) 広報ながの2015年9月号掲載記事”. 長野市. 2021年5月9日閲覧。
- ^ “指定文化財詳細 八橋流筝曲”. 長野市文化財データベース. 2021年5月9日閲覧。
- ^ “「この音とまれ!」CDが第72回文化庁芸術祭賞のレコード部門優秀賞に”. コミックナタリー (2017年12月27日). 2018年4月11日閲覧。
- ^ “FGOサントラと「この音とまれ!」アルバムが日本ゴールドディスク大賞受賞”. コミックナタリー (2018年2月27日). 2018年4月11日閲覧。
- ^ “第32回日本ゴールドディスク大賞「純邦楽・アルバム・オブ・ザ・イヤー」”. THE GOLD DISC. 2018年4月11日閲覧。
筝曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:09 UTC 版)
筝曲では元祿以後から貞享年間までに八橋検校が制定した表裏2曲「表組・裏組」から構成される組歌と『雲井弄斎』のことを指す。 1926年刊行の山田流箏曲の歌詞集『山田流 箏歌八葉集』では、八橋検校の曲の中でも大正時代に演奏頻度が少なくなっていた『布袋』『夏やせ』『めぐりあふせ』『あけがらす』『葉隠』『竹いかだ』『かさのうち』『相生』『曲水』『花妻』『夏』『花のかがみ』の12の小品が消滅の危機に瀕している古曲として扱われている。
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