箏製作へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/14 07:00 UTC 版)
1891年(明治24年)5月7日徳島県勝浦郡棚野村坂本(勝浦町坂本)に松浦菅蔵の次男として生まれた。幼名は佐吉。幼少期から音の出る玩具を好み、枝切れや竹棹に糸を張り、音を鳴らして遊んだ。坂本尋常小学校を卒業する際、教諭東条某に楽器製作の道を勧められ、村長新居彦太郎の斡旋で大阪市西区江戸堀北通二丁目の水野琴商に奉公した。奉公初日に和楽器の中から箏を選び、店主水野松太郎、職人河村勝太郎康春の下で箏の製作に励む傍ら、13歳から12年間松下岡乃勾当に演奏も学んだ。 1922年(大正11年)三味線業者石村政之助と共に大阪三越百貨店に邦楽器部を開設した。 1931年(昭和6年)昭和恐慌により経営が悪化する中、宝塚歌劇から宝塚付近にあれば取引を継続してもよいと言い渡され、3月21日伊丹市宮之前の水野楽器現在地に転居した。
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