第1、第2、第3の哨戒 1943年12月 - 1944年8月とは? わかりやすく解説

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第1、第2、第3の哨戒 1943年12月 - 1944年8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 18:31 UTC 版)

ダーター (SS-227)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1943年12月 - 1944年8月」の解説

12月21日ダーター最初哨戒トラック諸島近海向かった。同方面では南、西方日本重要な補給路をパトロールした。このパトロール修理のために二度中断されている。最初12月25日ジョンストン島出港して哨戒海域に向かう最中行われた潜航訓練の際、ツリムと蒸留機に異常が発生して哨戒影響が出ると見られたため真珠湾引き返した12月29日から1944年1月3日まで真珠湾において修理行い、翌4日再出撃した。1月5日から12日まではエニウェトク環礁近海哨戒行いその後トラックポンペイ島を結ぶ海域移動1月16日午後ダーター近在のブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) が接触した輸送船団迎撃に向かうが、ダーターがその船団接触することは出来なかった。1月30日から2月2日まではツラギ島次いで2月4日から8日まではミルン湾修理を受ける。2月13日ダーター北緯0556東経14930分 / 北緯5.933度 東経149.500度 / 5.933; 149.500の地点で7,500トン輸送船中心とする輸送船団発見して追跡し北緯0516東経14922分 / 北緯5.267度 東経149.367度 / 5.267; 149.367の地点至ったところで艦首発射管から魚雷を6本発射した命中せず続いて艦尾発射管から魚雷を4本発射して1本を命中させ、目標撃沈報告したが、護衛艦からの爆雷による反撃受けた2月17日から18日にかけての第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)によるトラック島空襲では、トラック南西海域脱出艦艇攻撃搭乗員救助担当した最初哨戒はとにかく故障付きまとわれた。2月25日ダーター66日間行動終えてミルン湾帰投翌日ブリスベン向けて出港し2月29日到着したブリスベンでの整備の後、3月17日ミルン湾向けて出港して3月21日到着した3月22日ダーター2回目の哨戒ダバオ南方ハルマヘラ島近海ニューギニア北西部方面向かった3月23日にランゲマク湾(英語版)で燃料補給行い3月29日に哨区に到着する3月30日未明ダーター北緯0156東経13325分 / 北緯1.933度 東経133.417度 / 1.933; 133.417の地点輸送船団発見し魚雷を6本発射して最初の2本以外が陸軍輸送船藤川丸(川崎汽船、2,829トン)に命中してこれを撃沈した4月5日司令部から「ダバオから日本艦隊出撃してくる」という情報もたらされた。察知され日本艦隊とは、第58任務部隊攻撃パラオ大空襲)を避けるべく、パラオからシンガポール南方リンガ泊地に向かう第二艦隊栗田健男中将)の一部であったダーターデイス (USS Dace, SS-247)、スキャンプ (USS Scamp, SS-277) 、バッショー (USS Bashaw, SS-241) とともに艦隊出撃待った4月6日未明ダーターレーダー北緯0527東経12559分 / 北緯5.450度 東経125.983度 / 5.450; 125.983の地点第二艦隊思しき7つ目標探知しデイスとともに迎撃態勢に入る。しかし、目標推定22ノット高速航行しており、魚雷発射するチャンスすらなく2時間程度接触失ったこの後は敵との接触もあまりなく、4月29日から30日にかけて給油のためにダーウィン寄港したのち、ハルマヘラ島モロタイ島近海で再び哨戒行った5月23日ダーター63日間行動終えてマヌス島帰投艦長デヴィッド・H・マクリントック少佐アナポリス1935年組)に代わった。 6月21日ダーター3回目の哨戒ダバオモロタイ方面向かった前回同様、ハルマヘラ島ミンダナオ島の間の海域哨戒行った6月29日昼過ぎダーター北緯0219東経12757分 / 北緯2.317度 東経127.950度 / 2.317; 127.950のハルマヘラ島北方モロタイ水道北口で、ビアク島救援渾作戦参加時の6月21日オランダ潜水艦 K-14英語版) の雷撃により受けた損傷修理のためマニラ向かっていた敷設艦津軽と2隻の駆潜艇発見し魚雷を6本発射した津軽応急修理による低速航行のため避けることもままならず2本が命中し沈没したダーター攻撃直後から爆雷攻撃受けたが、何事もなかった。この後ダーターダバオバリクパパンパラオ間の交通路哨戒した。しかし、ダーター津軽撃沈後敵艦船らしい姿を7月15日7月21日二度しか見なかった。8月8日ダーター48日間行動終えてブリスベン帰投した。

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