第1、第2、第3の哨戒 1943年12月 - 1944年8月
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「ダーター (SS-227)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1943年12月 - 1944年8月」の解説
12月21日、ダーターは最初の哨戒でトラック諸島近海に向かった。同方面では南、西方の日本の重要な補給路をパトロールした。このパトロールは修理のために二度中断されている。最初は12月25日、ジョンストン島を出港して哨戒海域に向かう最中に行われた潜航訓練の際、ツリムと蒸留機に異常が発生して哨戒に影響が出ると見られたため真珠湾に引き返した。12月29日から1944年1月3日まで真珠湾において修理を行い、翌4日に再出撃した。1月5日から12日まではエニウェトク環礁近海で哨戒を行い、その後はトラックとポンペイ島を結ぶ海域に移動。1月16日午後、ダーターは近在のブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) が接触した輸送船団の迎撃に向かうが、ダーターがその船団に接触することは出来なかった。1月30日から2月2日まではツラギ島、次いで2月4日から8日まではミルン湾で修理を受ける。2月13日、ダーターは北緯05度56分 東経149度30分 / 北緯5.933度 東経149.500度 / 5.933; 149.500の地点で7,500トン級輸送船を中心とする輸送船団を発見して追跡し、北緯05度16分 東経149度22分 / 北緯5.267度 東経149.367度 / 5.267; 149.367の地点に至ったところで艦首発射管から魚雷を6本発射したが命中せず、続いて艦尾発射管から魚雷を4本発射して1本を命中させ、目標の撃沈を報告したが、護衛艦からの爆雷による反撃を受けた。2月17日から18日にかけての第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)によるトラック島空襲では、トラックの南西海域で脱出艦艇の攻撃と搭乗員救助を担当した。最初の哨戒はとにかく故障に付きまとわれた。2月25日、ダーターは66日間の行動を終えてミルン湾に帰投。翌日ブリスベンに向けて出港し、2月29日に到着した。ブリスベンでの整備の後、3月17日にミルン湾に向けて出港して3月21日に到着した。 3月22日、ダーターは2回目の哨戒でダバオ南方、ハルマヘラ島近海、ニューギニア北西部方面に向かった。3月23日にランゲマク湾(英語版)で燃料補給を行い、3月29日に哨区に到着する。3月30日未明、ダーターは北緯01度56分 東経133度25分 / 北緯1.933度 東経133.417度 / 1.933; 133.417の地点で輸送船団を発見し、魚雷を6本発射して最初の2本以外が陸軍輸送船藤川丸(川崎汽船、2,829トン)に命中してこれを撃沈した。4月5日、司令部から「ダバオから日本艦隊が出撃してくる」という情報がもたらされた。察知された日本艦隊とは、第58任務部隊の攻撃(パラオ大空襲)を避けるべく、パラオからシンガポール南方のリンガ泊地に向かう第二艦隊(栗田健男中将)の一部であった。ダーターはデイス (USS Dace, SS-247)、スキャンプ (USS Scamp, SS-277) 、バッショー (USS Bashaw, SS-241) とともに艦隊出撃を待った。4月6日未明、ダーターのレーダーは北緯05度27分 東経125度59分 / 北緯5.450度 東経125.983度 / 5.450; 125.983の地点で第二艦隊と思しき7つの目標を探知し、デイスとともに迎撃態勢に入る。しかし、目標は推定22ノットの高速で航行しており、魚雷を発射するチャンスすらなく2時間程度で接触を失った。この後は敵との接触もあまりなく、4月29日から30日にかけて給油のためにダーウィンに寄港したのち、ハルマヘラ島とモロタイ島近海で再び哨戒を行った。5月23日、ダーターは63日間の行動を終えてマヌス島に帰投。艦長がデヴィッド・H・マクリントック少佐(アナポリス1935年組)に代わった。 6月21日、ダーターは3回目の哨戒でダバオ、モロタイ方面に向かった。前回同様、ハルマヘラ島とミンダナオ島の間の海域で哨戒を行った。6月29日昼過ぎ、ダーターは北緯02度19分 東経127度57分 / 北緯2.317度 東経127.950度 / 2.317; 127.950のハルマヘラ島北方モロタイ水道北口で、ビアク島救援の渾作戦参加時の6月21日にオランダ潜水艦 K-14(英語版) の雷撃により受けた損傷の修理のためマニラに向かっていた敷設艦津軽と2隻の駆潜艇を発見し、魚雷を6本発射した。津軽は応急修理による低速航行のため避けることもままならず2本が命中し沈没した。ダーターは攻撃直後から爆雷攻撃を受けたが、何事もなかった。この後、ダーターはダバオ、バリクパパンとパラオ間の交通路を哨戒した。しかし、ダーターは津軽撃沈後、敵艦船らしい姿を7月15日と7月21日の二度しか見なかった。8月8日、ダーターは48日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
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